NEWS

2020年 春季新入生の皆さまへ
岩切 正一郎 学長 式辞

公開日:2020年4月1日

教養学部ならびに大学院博士前期課程・後期課程新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、ご家族、ご親戚、ご友人の皆さまにも、心よりお祝い申し上げます。

新型コロナウィルスによって社会や身体の健康が脅かされ、日本を含む多くの国々で感染拡大防止の措置が取られるなか、本学の入学式も残念ながら中止することとなりました。また、授業の始まりも通常とは違った形態をとることになりました。

情勢は予断を許しませんが、こうした状況のなかにあっても、私たちは知的な活動を疎かにしないようにしましょう。いつもの日常が戻るのを待つ間、私たちは、いつもとは違った形でつながりながら、心のなかで冒険を続けることができます。そして、あたり前と思っていた日常の活動が制限されている今だからこそ、逆に一層みずからに深く問うことができます。自分は、ICUの日々を、どのようなヴィジョンを持って、何を学びながら、何を実践しながら過ごすのか、と。

ICUは今年で創立71年を迎えます。ご存じのように、戦争という人間の愚行への反省と、生きるにふさわしい未来の建設という希望のもとに、私たちの大学は設立されました。初代学長の湯浅八郎氏は、ICUを「明日の大学」と呼び、また、人生に必要なものを示す言葉として、聖書から、「幻なければ民滅ぶ」(箴言29)という一節を引用しています。ここでいう「幻」とはヴィジョンです。ヴィジョンを持って、明日の大学のなかで、学び、教育し、研究すること、これは今に至るまで、私たちが継承している理念であり、そしておそらくこれからもそうでしょう。ICUは日米の数多くの人々からの寄付金によってここ三鷹の地にキャンパスを得ました。大学の建設に未来への希望が託されていたのです。誕生の時に灯されたこの希望の火を私たちは一人ひとり胸のなかに灯し続けなくてはなりません。大学で学び、教育し、研究する私たちにとって、明日とは、カレンダーに記された日付を持つ未来ではありません。それは、今日よりも一段と深いレベルで、人間や社会や自然を理解している状態です。私たちは、その関心や研究対象の如何にかかわらず、一人ひとり、新しい未知なるものへとひらかれ、進んでいくことで、その明日を作っています。

21世紀に入って約20年、現代文明の「明日」は、しばしば、「予測不可能な変化」という言葉で語られます。慣れ親しんだ知の枠組みや生活様式から、新しい世界のあり方へ移行する時、人は不安になります。それは今に限った話ではありません。およそ2500年前の古代ギリシャ、アテネに目を向けてみましょう。そこでは、神話的な物語を通して世界を解釈し、人間の行動を意味づけていた社会・文化から、理性の力によって世界を解釈する方向への転換がありました。ICUは、対話を重視していますが、その対話による哲学を始めたソクラテスのことを、皆さんも良くご存じだと思います。対話を通じて、理性の力で真理を探究する考え方を彼は提唱しました。私たちには普通にみえるこの実践は、神話や慣習や思い込みを退けるという点で、当時のアテネにおいては危険思想にほかなりませんでした。それから約2000年後、近代科学の黎明期に、ふたたび人は、理性によって世界の姿を捉え、自由で批判的な思考を働かせ、科学技術を発展させ、つねに進歩し発展する運動のなかへとみずからを置きました。今の私たちはその運動のなかにいます。現代のわれわれが直面しているさまざまな問題は、こうした、人間の知のあり方への問い直しと無関係ではありません。人間の知性は素晴らしい発見や技術開発をもたらすと同時に、世界に対して暴力的に働きかけ関与する。今、私たちは様々な問題の渦中にあります。エネルギー、生命倫理、環境、情報、労働力、紛争......

こうした状況のなかで、皆さんがICUのリベラル・アーツ教育をみずからの意志で選び、ここにこうして集ってくださったことを、私はとても嬉しく思います。ICUのリベラル・アーツでは、対話や理性や批判的思考が大切にされます。それは、自分自身や他者の、思考や感性のあり方を、あるいは社会の慣習や文化のあり方を規定している見えない構造を見えるようにする作業です。それはときには、自分を安心させていた幻想を壊す作業になることもあります。ときには苦いものであるかも知れません。けれどもそれも大学での学びにおいては大切なことです。そのような作業を通じて、さまざまな学問領域で対象となっている問題を広く共有し、アプローチと解決のスキルを学び、自分で選んだ専門を深めながら、ひとりの人間として、隣人を愛し、神の恵みに感謝し、生きる喜びを持ち続け、貧しい者、苦しんでいる者の側に立ち、社会に貢献できる人となること。カオス的な状況におちいったときに、新しい秩序を作り出せる者となること。

今日、皆さんは、ICUで、その一歩を踏み出します。そこには他者との出会いがあります。様々な出会いがあるでしょう。出会うのがたとえ遠い昔に書かれた書物であっても、それと初めて出会う人には、新しい書物です。そこには、時代を越えて私たちに語りかけ、私たちのほうからも語りかける豊かな思想が生きているかも知れない。あるいは最先端の理論と出会い、あるいは異なった文化と出会い、世界観が変わるかも知れない。多くの人とも出会うでしょう。〈他者〉との出会いは、つねに予測できないものに満ちています。その〈他者〉へひらかれていること、それを受け止めること、他者と対話し他者を理解すること。ICUでの授業や、留学を通じて、ぜひそのような出会いを深めていって欲しいと思います。その一方で、合理性や批判的思考を大切にしながらも、そこから逃れ去るもの、理性ではかならずしもとらえきれないもの、感覚的な、あるいは超越的なものの感受も大切にして欲しいと思います。理知的な理解を逃れ去りながら常にそこにあるものと対話し続けることの豊かさを忘れないで欲しいのです。

グローバルな政治、経済、社会問題のなかで、あるいは地域社会のなかで、あるいは個人の生活において、私たちが困難な状況に陥ったとき、リベラル・アーツで涵養された能力は大きな力を発揮します。なぜならリベラル・アーツの自由は本質的に善であることと結びついているからです。キリスト教主義の意味はそこにあります。

人の幸福にとって何が大切なのか、人間の実存や世界にとって何が善いことで何が悪いことなのか、その判断基準をしっかり自分のなかに持ち、ある重要な局面で、ひとつの解決を選択する人。問題が生じている現場で事に当たることができる人。ICUは皆さんが学生生活を通じてそのような人へと育っていくことを願っています。そして教職員もそのための献身を惜しみません。

終わりにあたって、およそ120年前にベルギーで生まれ、世界を旅し、日本にも滞在したことのある一人の詩人の言葉を紹介したいと思います。アンリ・ミショーという詩人です。彼は、詩はどこへ向かうのか、という問いにたいして、このように答えています。

詩は、私たちにとって住むことができない場所を住めるものにし、呼吸できないものを呼吸できるものにする、その方向へ向かうだろう。

私たちの学問の営みも、人間としてそこに息づき、住むことができるものの創造でありたいと思います。ICUでの皆さん一人ひとりの生活が実り豊かなものとなるよう願っています。

学長 岩切正一郎

Page top