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メールマガジン Message from ICU, No.1「リベラルアーツ」

公開日:2020年5月8日

人が人とのclose contactを避けなくてはならない。この異常な状況のなかでも、皆様とコンタクトを取り続けていきたい。そのような思いから、全国の中等教育に携わる先生方向けのメールマガジンを発行することにしました。

第1弾として、5月8日(金)に配信したメールマガジンをご紹介致します。

なお、配信を希望される方は、以下よりお申込みください。

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Message from ICU , No.1(2020年5月8日発行) 

リベラルアーツ

─ 学びのシステム、人生のスタイル ─

学長 岩切 正一郎

2020ml_no1_img01.jpg私はこの4月に学長に就任しました。専門はフランス文学です。今は授業を持っていませんが、2017年度のフランス小説原文講読では、カミュの『ペスト』(1947年)をテクストにしました。

ペストが蔓延し封鎖されたアルジェリアの都市オランの閉塞状況のなかでの、正義と連帯と反抗を描いた作品です。今、新型コロナウイルスの感染が拡大し続けている日本でも、再び多くの人に読まれています。再び、というのは、東日本大震災の時にもよく読まれたからです。困難な状況のなかで生きるヒントや、行動の指針、共感できる思いや感情を、小説のなかに見出すことができるからだと思います。
終息の兆しがないまま何ヵ月も過ぎた頃、主要な登場人物のひとりである公務員のグランは医師リューに言います。「私は外見は落ち着いています。でも、いつだって、もの凄く大きな努力が必要だったんですよ、たんに普通でいるだけのために」。

ノーマルな日常が奪われているときにノーマルであり続ける、その内面の努力は、ふだん外からは見えません。グランはその真実をあえて言葉にしたのですが、こうした、日常の淡々とした営みのなかに深い人間性が宿っている姿を、カミュは大切なものとして私たちに差し出します。

話し相手の医師は記録の書き手でもあります。その執筆動機を彼は、「災厄の只中で人が学ぶこと、つまり、人間のうちには軽蔑すべきものよりも多くの賞賛すべきものがあるということを、ただ述べるために」だったと記しています。

苦しみに寄り添い、最善を尽くし、過酷なものに耐えながら、愛を失わないこと。医師の口を通してカミュは私たちに語りかけます。必要なのは「誠実さだ。笑われるかも知れない考えだが、ペストと戦うただひとつのやり方は、誠実さだ」と。

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2020ml_no1_img03.jpg困難に立ち向かう時に必要な「ただひとつのやり方」を知っている、それは大きなアドヴァンテージです。

ICUには、今の新型コロナウィルス感染拡大のような不測の事態の中で自分たちを支える、人間に対する誠実さ、そして教育に対する誠実さがあると私は思います。

今、日本の大学は、対面型からオンライン型の授業へとシフトしています。(専門家によると、これは本来のオンライン教育ではなく、緊急遠隔教育(emergency remote teaching)というそうです。) 

2020ml_no1_img04.jpgICUは、前例のない混乱した状況のなかで、早期に明確な対応策を打ち出し、実行しています。それは、学生のために何が最も大切なのかを知っているからです。そこにあるのは、ふだん実践している「リベラルアーツ」教育を、どのような形であれ、継続するという意志です。

ICUは、1953年の献学当初からリベラルアーツを教育システムとして導入し、1991年の大学設置基準大綱化以降、日本で教養教育が解体していく流れに抗って、国際性、キリスト教精神、学術性を柱とするリベラルアーツを堅持してきました。その後、過度な専門化教育の弊害が顕在化し、リベラルアーツは日本に回帰しつつあります。ということは、いつまたそのブームが去っていくとも限らないということです。けれどもICUは、流行に右往左往することなく、リベラルアーツの理念を守り、その果てしない実現を追求します。理念には、総合的な知と専門性、対話と批判的思考、日英バイリンガリズム、神と人への奉仕、というポリシーが全て含まれています。

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リベラルアーツが教育システムであるということは、それが、ある一定の時間をかけて獲得されるものであるということを意味しています。そしてそのプロセスは、リベラルアーツ的な考え方や行動の規範を個人のなかへ構造化していく作業にほかなりません。ある意味でそれは、リベラルアーツという〈ハビトゥス〉(個人のうちになかば無意識に構造化されている思考・行動・感性の傾向)の獲得です。異文化や他者へ開かれていること、人間のなかで一番大切にすべきものを知っていてそれを擁護するために戦うこと、対立や混沌のなかから新しい秩序を創っていくこと。それを世界のどこにいても自分の責任において実行することができる人を、ICUは育てています。


2020ml_no1_img02.jpgリベラルアーツは、すでに出来上がり固定した知識や技法の集合から出来ているのではありません。それは、さまざまなものを自分のなかへ取り込みながら、常に生成変化する柔軟なシステムです。そこにあるのは、美しいもの、真理、聖なるもの、義であるものと同時に、異物であるもの、無価値とみなされているもの、差別されているもの、排除されているもの、蔑まれているもの、非難されているもの、汚れたもの、それらも貪欲に取り込み、咀嚼し、枠組みを壊して、創造し、新しい共存の形へと作り替えていく強くてしなやかな精神です。

それは、たんに大学での学びであるだけではなく、その後の長い人生における思考と行動のスタイルでもあります。

ICUのリベラルアーツの特徴に、私が新しい学長として付け加えることがひとつあるとすれば、それは、大学でのリベラルアーツの学びは、リベラルアーツ的な生き方に繋がっている、ということの提唱です。

リベラルアーツ、それは教育のシステムであり、同時に、人生のスタイルです。社会と人間と自然を深く理解しながら豊かな人生をつくっていく、そのリベラルアーツについて、メールマガジンを通じてお伝えしていきます。


岩切 正一郎 プロフィール

1959年 宮崎県生まれ。東京大学大学院修士(文学)、パリ第7大学第3課程(DEA)。戯曲翻訳家。詩人。1996年助教授としてICUに着任。2007年教授。教養学部副部長、アドミッションズ・センター長、教養学部長を経て、2020年に学長就任。専門はフランス近・現代詩。蜷川幸雄の演出作品『ひばり』と『カリギュラ』の翻訳を担当し、第15回「湯浅芳子賞」を受賞。
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