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2015年 春季卒業式 日比谷潤子学長 式辞

公開日:2015年4月6日

聖書朗読箇所:マタイによる福音書 第25章第40節b
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」

教養学部卒業生、大学院博士前期課程、後期課程修了生のみなさん、おめでとうございます。ディッフェンドルファー記念館のスクリーンで、この式をご覧になっているご家族、ご親戚、ご友人の方々にも、お祝いを申し上げます。

阪神・淡路大震災から今年で20年。1月17日には数々の追悼行事が行われ、犠牲者の冥福を祈るとともに、被災の経験や教訓を語り継いでいく決意が新たにされました。

言うまでもなく、災害に襲われるのは、その地域にいるすべての人々です。緊急事態が発生した時には、情報が正確かつ効率的に伝わるかどうかが生死を分けます。阪神・淡路大震災では、地震発生後半日経過した頃から英語で情報が出されるようになり、5日後の1月22日には「外国人地震情報センター」(同年10月には「多文化共生センター」に発展改称)が開設され、延べ15の言語による電話相談やニュースレターの発行が行われました。しかしながら、それでも必要な情報を得られなかった被災者が多く、その結果、日本語を母語としない人々は、日本語での情報伝達が可能な人々をはるかに超える割合で、命を落としたり負傷したりしました。

このような状況のなか、災害時の的確な情報提供の必要性を痛感した言語学者のグループが、ほどなくして「日本語を母語としない人々のための緊急時言語対策に関する研究」に着手しました。先ほど触れたような多言語による対応も重要ですが、この研究グループが集中的に検討することにしたのは、「非常時における日本語表現のあり方」です。できるだけやさしい単語で単純な構造の文を組み立てる、情報の配列順序に注意する、重要な災害用語については言い換え表現を付け加える、といったいくつかの原則を立てて実例を示し、災害発生時にはウェブサイト上での情報提供実務の一端を担うほか、各地の公共団体やNPO法人の求めに応じて、講師として研究者を派遣してきました。

加えて1998年からは、各地で生活する日本語を母語としない人々の協力を得て、このような表現の有効性に関する検証実験も実施しています。例えば、文字を媒介とせずに耳で聴くだけで理解する「ラジオによるアナウンス」を想定した聴解の実験では、協力者を二つのグループに分け、第一のグループには「あぶないので、帽子をかぶってください」、第二のグループには「落下物に備えて、頭部を保護してください」という異なる指示を出して比較したところ、指示どおりの行動をした人が前者では95%だったのに対して後者では11%にとどまりました。他の項目でも同様の結果が得られており、先ほど挙げた原則に沿った日本語表現による情報提供が効果的であることが分かります。

一方、「ポスター等の掲示物」を想定した読解の実験では、やさしい和語を使った指示より、一般的には難しい単語とみなされる漢語を用いたものの方が、むしろ正しい行動を誘発するとの結果が出ました。これは、協力者の中に漢字圏の出身者が多かったことによるものです。このように、どんな情報提供方法が適切かは、人々の言語背景や文字を媒介とするかどうかで異なっており、ことはそう単純ではありません。

本日の教養学部卒業生の大半は、東日本大震災の影響により入学式ができなかった2011年4月に入学しましたが、緊急時言語対策に関する研究グループは、4年前の大震災の時にもそれまでに実施した検証実験の結果等を踏まえ、非常時において適切と判断される日本語表現を用いて、情報の提供を行いました。

災害時における情報提供のあり方を考える際には、日本語を母語としない人々だけでなく、さまざまな障がいを持つ人々への配慮も忘れてはなりません。映像作家の今村彩子監督は、「命にかかわる情報は、すべての人に平等に行き届くべきもの」、「命に関わる情報に格差があってはならない」との思いから、東日本大震災後被災地で取材を続け、『音のない3.11〜被災地にろう者もいた〜』、『架け橋 きこえなかった3.11』といった作品を制作・発表してきました。これらの作品を学校や企業、自治会等での研修で活用するため、今村監督の公式ウェブサイトには各種のスタディガイドも公開されています。

東日本大震災からほぼ半年後の2011年10月に発足した第22期日本学術会議の言語・文学委員会は、「情報弱者への情報伝達(特に災害時における)の方法の検討」を三つの優先課題のうちの一つに定めました。阪神・淡路大震災直後に数人の研究者の問題意識から始まったプロジェクトが、このような組織的な取組に発展したわけです。この課題は昨秋からの第23期にも引き継がれ、私も言語・文学委員会のメンバーに加わっています。研究者間でネットワークを構築し政府に対して提言することが、学術会議の主要な役割の一つですが、言語学の知見を災害時コミュニケーションに役立てる機会を与えられたことに感謝しています。

本日の式辞では私自身の領域を一つの例として、専門分野を通じた社会貢献についてお話ししてきましたが、神と人とに奉仕する有為の人材の養成」を目的とするICUを卒業/修了するみなさんには、この大学で身につけたこと、さらにそれを基礎に社会に出てこれから学ぶことを、世のため人のために是非生かしていただきたいと願います。

ここで思い起こされるのは、大阪釜ヶ崎にある「ふるさとの家」を拠点に、聖書を原文で読み直す活動を続けていらっしゃる本田哲郎神父の「生きる力、立ち上がる力・・・ それは宗教家が与えるものではなく、痛みを知っている仲間たちが与えるもの」ということばです。本日の式の冒頭では、マタイによる福音書第25章第40節から、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」が朗読されました。本田版聖書のこの箇所を読んでみましょう。「わたしの身内である、このいちばん小さくされている者の一人にしたのは、わたしにしたのである。」ここでは「兄弟」が「同族、自分の身体の一部のようにつながった身内という感覚」で捉えられ、「いちばん小さくされている者」、つまり痛みや苦しみを知る人々との日常的な関わりの中に神との接点を見出しています。詳しくは、この本田神父と荒井献先生、高橋哲哉先生の鼎談等をまとめた「3.11以後とキリスト教」を読んでみてください。今日、ICUを巣立っていくみなさんが、「小さくされている者」との交わりに神からの働きかけを感じる日々を送っていくことを心からお祈りしています。

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