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メールマガジン Message from ICU, No.8 「サービス・ラーニング - 社会を変える?自分が変わる?」

公開日:2021年10月13日

「サービス・ラーニング」は単なるボランティア活動、インターンシップ、課外活動等の一過性の学びと異なり、学びのプロセスに力を入れ、振り返り(リフレクション)を通して、学術的な学びや批判的思考などの能力を身につけ、学びと行動を結びつけ、このサイクルを生むための素地を身につけるという目的があります。特に日々の記録(ジャーナル)の取り方や振り返り(リフレクション)の仕方といったスキルを習得することで、単に学外に出て何かを「する」ことだけに特化するものではありません。」

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Message from ICU , No.8(2021年10月13日発行) 

サービス・ラーニング - 社会を変える?自分が変わる?

サービス・ラーニング・センター長 西村 幹子


行動するリベラルアーツ

2020ml_no7_img01.jpg 2019年にサービス・ラーニング・センター長になったばかりのころ、ある新入生から以下のようなメールをもらいました。

「ICUのサークルや留学及び学外の活動等で、実際に現地に行って体験する事で学ぶということはできると思います。そこで、なぜ授業や単位として扱ってまでサービス・ラーニングをするのか、その理由とサービス・ラーニングの特徴は何なのか教えてくだされば嬉しいです。」

このような質問だけでもICUを代表する学生像を想像して頂けると思いますが、私たち教員もこのような学生の挑戦的な質問を受けて対話を通して成長させてもらっていると感じます。その時の私の返信は以下のようなものでした。

「サービス・ラーニング」は単なるボランティア活動、インターンシップ、課外活動等の一過性の学びと異なり、学びのプロセスに力を入れ、振り返り(リフレクション)を通して、学術的な学びや批判的思考などの能力を身につけ、学びと行動を結びつけ、このサイクルを生むための素地を身につけるという目的があります。特に日々の記録(ジャーナル)の取り方や振り返り(リフレクション)の仕方といったスキルを習得することで、単に学外に出て何かを「する」ことだけに特化するものではありません。」

学習と経験を結びつけ、既存の知識に自らの経験を通して新たな価値を見出し、さらにはそれを自分の経験に照らして検証し、新たな知を紡ぐ。経験的学修の理論としては上記のような説明になると思います。しかし、実際には教育者であれば誰もが感じていることだと思いますが、これは言うは易し、行うは難しです。

ml_no9_img01.jpgまず、既存の知に対して挑戦してみる、という態度が入学時点で身についている学生はごく僅かです。多くの学生たちは、どちらかというと相対的に正解がある程度決まっている中で効率的に手続きを踏んで解を見出すことやそれを表現することには慣れていますが、そもそも「当たり前」とされているような知、あるいは教科書に書かれているような内容を批判的に検討する、ということに逡巡してしまうことが多くあります。他方、フィールドワークなど教室外に出てボランティア活動をすると、教室の中では見られなかった晴れやかな顔をして汗をかいている姿があります。そこでは学生たちが自然と向き合い、新たな出会いを通じて生き生きと自分の成長を楽しんでいることが感じられます。

この学習と経験という二つをどう結び付けるのか。そのためには目的意識が重要です。戦後、日本の復興、そして世界平和のために明日の大学を創ることに希望を託した国内外の多くの一般の人びとの寄付によって設立された本学は、多くの人びとの想いに支えられています。「明日」を考えることは、単なる技術的な進歩ではなく、歴史を振り返り、現在の自分をみつめ、多様な人びとと対話をする中で対立や交渉を乗り越え、未知の世界をともに展望することです。学習は先人たちの知を再生産することでも、それらを鵜呑みにして迎合することでもありません。日本社会の中では批判的思考を個人的な攻撃と捉えられてしまうことがありますが、批判的思考はより良き未来を共に展望し切り拓くために必要なものです。

また、学生たちの多くは自分たちの経験は取るに足りないものだと思っています。知識もないし経験もないから何も言えないのではないか、と考えてしまいます。謙虚になることは良いことですが、遠慮し萎縮してしまうことは、物事への関与を弱めることにもなり、これが学習における当事者意識の欠如にもつながっているように思います。自分も世の中の知の一部である、と考えられるようになるには、自分の経験から何か世の中に対しても提案できることがあるという自信と社会に対する信頼が必要だと思います。そしてその自信や信頼は背景の異なる他者と関わること、対話し共に活動する経験を繰り返すことによって獲得できるのではないかと私は考えています。

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アインシュタインが、「リベラルアーツ大学における教育の価値は、多くの事実を学ぶことではなく、教科書からは学ぶことができないことを考える精神を鍛えることである」といったように、リベラルアーツ教育の学びは能動的で挑戦的なものです。また、アメリカのリベラルアーツ大学(スワスモア・カレッジ)のチョップ学長らがまとめた著書の中では、リベラルアーツ教育の核となる価値は、批判的思考力、道徳的で市民性のある人格、世界を改善するという目的をもった知の活用、と書かれています。

つまり、リベラルアーツ教育は、他者のために自分を役立てようとする能動的な個人の育成を目的としているとも言えます。この目的を共有していれば、議論する中での批判的な思考や対立も建設的な意味をもつことができます。そしてそこには少人数制教育による、信頼関係のある学習コミュニティが築かれていることが前提として必要です。サービス・ラーニングは、こうしたリベラルアーツ教育の核となる価値を実現しようとする経験的学修アプローチです。

 

社会課題をどのように認識するのか - 自分が変わる経験
コロナ禍で国際サービス・ラーニングがキャンセルになったり、オンラインになったりする制約の中で、重要な気づきがありました。学生たちも私たちもより国内の課題に関心を強くもつようになり、改めてサービス・ラーニングの意義を考えさせられました。本学は国際的な指向性をもつ学生が多く、サービス・ラーニングを行う場も海外のいわゆる発展途上国が主でした。そこには、貧困、不平等、暴力、差別等の明らかな社会的課題があり、人びとがそれを疑うことはまずありません。多くの学生たちは、「恵まれた私たち」と「可哀そうな彼(女)たち」を対比させて救世主コンプレックスをもつことがあります。インドに行く学生が、サービス・ラーニングの選考インタビューで女性への暴力について理解を深めたい、と言っているのを聴いて、ジェンダー平等ランキングでインドと日本のどちらが低いか知っていますか、と質問しなければならない程、学生たちは貧困や差別を自分たちと切り離して認識しています。

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さて、これが国内となるとどうでしょうか。現在、サービス・ラーニングでは秋田県、長野県、長崎県等で学生たちを受け入れて頂いています。過疎化や人口減少等、「目に見える問題」に対して解決策を急ぐ学生たちに対して、受け入れ先の方々から、まずはコミュニティの一員になって欲しい、と言われることがあります。それぞれの地方での課題は外から見れば単純に見えるかもしれないけれど、実際には現地の人びとの中にも多様性があり、それを課題とも考えていない人もいれば、思考錯誤を繰り返す中ですでに蓄積した知がある。そういう現実に触れて欲しい、というのは尤もなことです。

学生たちはせっかく書籍や教員へのインタビュー等で準備してきたものが振り出しに戻り、最初は戸惑いを隠せませんが、「どのように自分が知っていると知るのか」ということをプロセスとして実感することができると、目から鱗が落ちる経験になります。短期間に直接的に社会を変えることはできなくても、こしたプロセスを経ることで、自分が変わり、さらに社会的課題に関わっていこうとする気持ちが強まり、自己変容が起きます。リベラルアーツ教育の中でのサービス・ラーニングは、まさにこの自己変容を目的とし、より長期的な社会変容に繋げられる個人を育成するといっても過言ではありません。そのためには、受け入れて頂くコミュニティの方々には、直接的なインパクトよりも長期的に同じ方向を見つめて活動することの価値(生涯学習者育成を共に担う)を共有して頂いています。自分たちがもっている物事の捉え方、自らのあり方、相手との関わり方、すべてが問われるのがサービス・ラーニングです。国内でこのような出会いを経て海外に行くと、物の見え方も異なるのではないかと思いますし、学生たちには国内・海外を固定的に捉えず、グローバル・ローカルの空間を往還して欲しいと願っています。

 

経験的学修としての意義とこれからの高等教育
21世紀型コンピテンシーや学修成果の可視化が国内外で叫ばれる時代の流れの中で、今後の高等教育にはこれまでにも増して重要な役割が期待されています。高等教育がユニバーサル化された段階に入った日本社会では、高等教育が担う市民性教育にも注目が集まる一方で、いまだに就職のための高等教育といった発想が根強くあります。リベラルアーツ教育というと、幅広い教養を身に着ける、手に職は得られない、といった誤解があるのも事実です。しかし、現代の不確実な時代に必要な素養を考えたとき、不確実なものを恐れずに真っ直ぐに向き合いながら柔軟かつ使命感をもって世界の人びとと未来を展望することができる能動的、友好的な姿勢と行動を身に着けた個人が求められることは疑いの余地がありません。

ml_no9_img04.jpg サービス・ラーニングで身に着けられることは、特定の専門的な技術や知識ではありません。専門的な知識や技術が見落としているかもしれない私たち一人一人の認識的なレベルでの社会的課題の捉え方、人としてのあり方、多様な個人や社会的集団との関わり方。こうした根本的な存在論、価値論、認識論、方法論といった次元での問いを持ち続ける姿勢を身に着け、学び続ける個人を育てることが、これからの高等教育の役割として重要ではないかと思います。サービス・ラーニングはその意味で高等教育の意義を見直す契機にもなるような経験的学修アプローチではないかと考えています。

 


サービス・ラーニング・センター長 西村 幹子 プロフィール

サセックス大学修士課程(M.Phil.)、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ博士課程修了(Ed.D)。国際協力事業団ジュニア専門員、開発コンサルタント、神戸大学大学院国際協力研究科准教授を経て現職。専門は教育社会学、比較教育学、国際教育開発論、アフリカ地域の教育研究。


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