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追悼と感謝 古屋安雄先生

公開日:2018年7月6日

古屋安雄先生は他の人と較べて圧倒的に豊富な体験を糧とし、鋭い観察と発言を積み重ねつつ生涯を走り抜いた。1926年9月に上海の日本人宣教師館で生まれ、少年時代に早くもこの国際都市で民族と社会の諸矛盾を知った。帰国後に自由学園に入学し、自律性を重んずる教育を通して、自分の判断で発言し、行動する人生の基本を身に付けたが、この青年は徴兵され、学園とは正反対の体験を味わい、それが日本だと思い知った。兵舎で終戦の詔勅を聞き、日本の悲劇はキリスト教が浸透しなかったからだと受け止め、その日に牧師になる決心をした。

青年は東京神学大学の前身の神学校での学びを経て、サンフランシスコ条約締結の直前にアメリカに留学し、アジア宣教を志して勉強した。プリンストン神学校で学位を取ったが、当時図書館員であった、しとやかな幸夫人をもゲットした。留学中の在外研究で赴いたドイツでは宗教学に目覚め、スイスではカール・バルトの外国人学生のためのセミナーに参加した。バルトは鋭い質問を発するこの青年に一目を置いた。先生のその後の生き方はバルトから学んだ自由の実践であったと言えよう。

先生はインドネシアでの宣教に赴く直前に開学間もないICUに招聘された。数年の赴任の予定であったが、70歳の大学院教授の定年までICUに深くコミットした。大学ではキリスト教学、宗教学を担当し、学生を魅了する名物教師であったが、ICU教会では長く主任牧師を勤めた。先生は奉職の間、外国での会議、教育のために誰よりも頻繁に出かけたが、土地の人々との会話を積極的に試みた。東南アジアでは戦中、戦後の日本人に対する鋭い批判に耳を傾けたが、フィリピンでは例外的な日本人、後にフィリピン大統領となるロハスの命を救った神保信彦大佐の働きを知って感銘を受け、しばしば彼について語った。

先生は招かれた講演と説教では、国民の1割がキリスト者になれば国が変わると説き、諸教会を元気づけた。世評は先生を現代日本の10人のエヴァンジェリストの中に数えた。ICUでは多くの学生たちに牧師となって各地の教会で仕える道を奨め、彼らの背中を押した。先生の日本への大きな寄与であろう。

先生の学問はアジアと日本の宣教の課題をめぐっていた。おのずから日本を神学的な批判の対象とする「日本の神学」が後半生のテーマとなり、注目すべき著作を何冊も出版した。日本でなぜキリスト教が根付かないのか。先生はその理由を明治の布教以来、教会がインテリを相手にし、それを未だに日本の教会が引きずっているためだと指弾し、神学教育と教会の姿勢の根本的な改善を求めた。その批判の先駆者、賀川豊彦には敬意を払い、先生は彼の名を冠する学会の会長を長く引き受けた。もちろん、日本基督教学会では長年指導的な役割を果たした。

先生の自由には遠慮のなさも含まれていたが、隠すところのない、オープンで屈託のない人柄が人々を納得させた。先生の話の面白さは抜群で、何回語っても聞き手を飽きさせなかった。最晩年の自伝では、ICUは自分のために創られた大学ではないかとの思いを記したが、先生に対するICUの寄与よりも先生の大学への貢献の方が遙かに大きかった。先生を天に送った今、私は改めて先生が日本とICUにとっての掛け替えのない恵みだったとの認識を新たにして、感謝を捧げたい。


並木 浩一(なみき・こういち 本学名誉教授 宗教学)

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