01 岩切正一郎 × 平田オリザ

手掛けた演劇の脚本・演出は国内やフランスで高く評価され、
さらに教育者としての顔も持つ平田オリザ氏。
2020年の暮れ、彼を母校で迎えたのは学長 岩切正一郎。繰り広げられた対話の記録。

#「役に立たない」文学・演劇 #アクティブ・ラーニングの本質 #実験場・ICU #ユニークなコミュニティ #COVID-19

「生きる上で大切なことはすべて、ここで学んだ。」
記憶が薄れない大学、ICU。その根源とは───

「『日本のほとんどの大学は実学を教えますが、ICUは“虚学”を教えます』。
入学式でそう言い切った当時の中川秀恭学長の言葉は今でも覚えています」。
約40年前を振り返りながら平田オリザ氏は語った。

日本の高等教育において、企業への就職やキャリア教育、スキル・技術の習得が重要視されて久しい。この傾向は高等教育だけでなく、産業界や学生のニーズ、そして受験文化といった社会の構造から生じた風潮と言って差し支えないであろう。

では、果たして「生きる上で、真に重要となる力」とは一体何か。そして、いかにその力を育むべきか。平田氏の記憶から薄まることのない冒頭の言葉に、そのヒントはある。

2021年、日本および世界は、新型コロナウイルス感染症や多様なグローバルイシューと対峙しながら、正に「先行き不透明な時代」に突入した。平田氏は、今年4月に芸術文化観光専門職大学学長に就任する。今回は互いに文学・芸術を専門とし、さらには大学の舵取りを行う立場でもある平田氏と岩切学長の対話を通じて、この時代と社会に提示するICUの価値とその根源に迫る。

Paragraph 01

「役に立たないもの」の代名詞、文学・演劇。
そこに潜む日本のアブノーマルと、教養教育の意義。

岩切学長は近現代フランス詩・演劇を専門に研究活動を行い、フランス語戯曲翻訳も数多く手がけている。2007年には蜷川幸雄演出作品の翻訳で「湯浅芳子賞」を受賞した。

他方、平田氏のこれまでの功績を語る上で「現代口語演劇理論」の提唱は外せないであろう。ICUでの学生時代に韓国へ留学し、そこで経験した異文化との接触から相対的に物事を俯瞰する視点を得た。そして、それが現在の演劇理論の基になっていると言う。

そんなふたりの共通点は、演劇や文学を含む芸術の領域を専門とすることであり、さらにそこに教養教育としての重要性を見出している点である。

「芸術や哲学・思想は、『役に立たないもの』とよく言われますが、そうは思いません。生きることの意味や生き方について考え始めるとき、人生の役に立つものであることは明らかです」と話すのは岩切学長。「芸術の中でも、特に演劇は日本において地位が低い。他国と比べて異なる接し方がありますね」と平田氏は続ける。

日本においてArts and Sciencesという学問区分の馴染みは薄いが、確かに人間が作り出すものという意味での“Arts”を「有難いもの」や「崇高」、さらには「役に立たない」と捉える向きがある。しかしこのような傾向は、世界と比較すると言わば“アブノーマル”だ。

「例えばアメリカでは、リベラルアーツの核は演劇とも捉えられており、どの大学にも演劇学部や演劇学科がある程です。また、韓国も演劇を教育として重視している国の一つ。ドラマや映画の経済的重要性が高いこともあり、韓国において演劇はある意味『実学』に当たるのです」と平田氏は語る。

では、“Arts”に属する学問の教育上の意義とは何であろうか。

岩切学長は、ICUの教育の質向上を見据え、このように答えた。「中長期計画でこれらの学問をしっかりと軸に据えていきたい。スキルや技術の習得も重要ではあるが、それが何のためのものか、或いは自分をどう表現するためのものか、という観点も重要です。むしろ、それを抜きにして『真理を追求します』、『社会に貢献します』と言っても不健全ではないでしょうか。すぐには役立たないが、人生に寄り添って役立つ力の涵養。それを芸術や哲学・思想が担うのです」。

「よく『課題解決能力を養う』と言われますが、その前に必要なのは『課題発見力』。大切なのは好奇心と直感力であり、自分の人生にとって本当に必要なことを捉える力です。この力を養う学びとして、アートは非常に優れています」(平田氏)。

Paragraph 02

演劇が担う、教育効果とは。
本質的な「アクティブ・ラーニング」を見つめる。

“Arts”に属する学問が養う、本質を見定める力と課題発見力。近年の日本の高等教育において、これらの力とあわせて所謂「主体性」を養う必要性が訴えられてきた。そこで推進されてきたのが「アクティブ・ラーニング」だ。

2014年、文部科学省の学習指導要領にも盛り込まれたことで注目を集めたこの学習手法は、「積極的・能動的な授業・学習」を指す。グループ・ディスカッションやグループワークをはじめとした能動的な学びをより導入することで、これまでの日本の受動的な学習方法からの脱却を目指すものだ。

しかし現在の日本では、ラーニングコモンズの整備や実習、体験型学習の充実化など、アクティブ・ラーニングの一部分に焦点を当てた施策に留まる印象がある。本質的にアクティブ・ラーニングを展開するために重要となるのは、実はICUが献学以来大切にする「対話」であり、さらに色濃く結びつくのが「演劇」なのである。

「演劇で必要となるのは『社交性』です。異なる役を各個人が演じますが、アウトプットは一集団としてつながり、まとまる必要があります」(平田氏)。

演劇を通じて会得する、多様な個人が集い「作品」を作り上げるという経験。それは「異なる価値観を持つ自立した学生が集まりひとつの共同体を作り上げる」という岩切学長が目指すICUの方針とも通ずる。

演劇は主体的な「社交性」を育む効果が期待され、海外諸国の教育に取り入れられている。「ほとんどの先進国において高校の選択必修科目は音楽・美術、そして演劇です。日本は諸外国に比べ、やや遅れを取っている状況です」と平田氏は語る。

アメリカのある町では、教会が信仰を、大学が教育を担うように、劇場がその町の文化と憩いを担う。他方、平田氏の言葉の通り日本における演劇の地位はまだ低い。まして、アクティブ・ラーニングの一環で「演劇」を高等教育に取り入れる事例は稀である。世界に目を向ければ、演劇学部や演劇学科を擁する大学が多く存在するにもかかわらず。

心を養う、そして「主体性」と「社交性」を育むという演劇の本質は、日本の“アブノーマル”と日本の高等教育に不足する事柄を教えてくれる。

青年団公演『東京ノート・インターナショナルバージョン』
撮影:青木司

Paragraph 03

社会を舞台にした「実験」という挑戦。
受け継がれる、そのDNA。

実は、ふたりの共通項はもうひとつ存在する。それは、「挑戦」というキーワードだ。

平田氏は、2021年兵庫県・豊岡市に開学する公立大学・芸術文化観光専門職大学の学長に就任予定である。さらには自治体の文化政策も引き受け、教育と観光、さらには演劇をも取り込んだ国際演劇都市の実現を目指している。

「豊岡は人口8万人の町ですが、アヴィニヨンが9万人で、映画祭で有名なカンヌは7万人。これぐらいの規模が、演劇や映画の街としては向いているのです。また、国際リゾートにとって昼のスポーツ・夜のアートという機能は必須。豊岡は城崎温泉という観光地を抱えながら、私が豊岡にオープンした江原河畔劇場をはじめ芸術の要素も持つ。国際リゾートとしての資質を十分に有する場所なのです」。

続けて教育に対するビジョンについては、「観光教育こそが、リベラルアーツ」と強調した。確かに観光を担う人材にとって、その地の歴史や社会だけに留まらず、幅広い教養を持つことは、より良いおもてなしを提供するための素地となるであろう。「教養の塊みたいな観光人を育てたい」と語る目に、強い意志を感じた。

一方で、恒久平和の確立という姿勢を65年以上貫き続けてきたICU。岩切学長は根幹とも言えるリベラルアーツを次のように捉える。

「私にとってリベラルアーツとは多弦楽器をイメージさせるものです。一本の専門の糸だけでなく、多様な教養の糸が張られており、だからこそ豊かな音色、つまり『その人の生き方』が生まれる」。

さらにこれからのICUが目指す方向性は「リベラルアーツの社会実装」だと続ける。日本の高等教育機関においてスキル・技術重視の傾向がある中、日本社会自体は「人生100年時代」を迎える。岩切学長の志は、「人生の糧」となるリベラルアーツの価値や思考方法を、広く社会に共有していくことにある。

そこには、ICUが重視する「対話」や「クリティカル・シンキング」という日本社会に不足する要素も含まれる。「ICUが確立してきた教育のシステムや考え方、さらには生き方のロールモデル、それらを社会の中により広めていく。ある意味『社会実験』と似ていると思います」。

ICUは、その独自性から、比喩的に「実験場」と呼ばれる。今もなおその実験は続いており、そして平田氏をはじめとする卒業生にも、そのDNAは「挑戦」というかたちで受け継がれている。

Paragraph 04

リベラルアーツはICUの要だが、
それ以上に光る「ユニークなコミュニティ」。

前パラグラフにおいてDNAという言葉を使用したが、それはどこから生まれてくるのか。今回の対談を通して得た答えは「ユニークなコミュニティ」である。都内にもかかわらず、広大な敷地と豊かな自然を有し、学生の3分の1と一部教員が居住。そして少人数、かつ独自性ある教育を色濃く維持するコミュニティ。その中身もやはり稀有と言える。

例えば、ICUの「C」キリスト教精神に関するふたりの言葉は印象的だ。「僕はクリスチャンではないですが、すごく影響を受けました」(平田氏)。ヨーロッパで仕事をする上で、キリスト教に対する基礎教養は重要であり、特に芸術における理解が欠落している日本人は多いと言う。

また、基礎教養としての側面に加えて、キリスト教の精神について岩切学長が続けた。「『神のもとに人はみな平等』という考え方がキャンパスに息づくからこそ、教員も学生もみな一人の人間として近い距離で接しあうことができるのでしょう」。

さらに、前学期より学長主導で開始した「コンボケーションアワー特別講演」の話題に触れたい。毎回、『現代社会とリベラルアーツ』をテーマにさまざまなゲストが講演し、初回はチョコレートの製造を行うDari K株式会社の吉野氏が講演された。フェアトレードではなく、インドネシアでカカオ豆を育て、農家の収入確保、適正価格での販売を目指す会社だ。

「実は、講演会の後ICUの人が店に訪れたり、メールをくれたりと反応が多くあったようで。これまで多くの講演をされていますが、このような反響は初めてだったようです。ICUの在学生や卒業生、関係者は、自分に響く価値を見出した際には反応を示す文化があり、大変ユニークな側面だと思います」(岩切学長)。

「企業文化」という企業の価値観や風土を包括して捉える言葉があるが、大学では「大学文化」と表現することは少ない。ICUは、大学として珍しく強い文化を持つと言える。

色濃く現れるほどの文化を有するユニークなコミュニティ。それがDNAを養い、受け継ぐ根源であろう。岩切学長の話の中にには、「ICUは、学ぶ場に垣根がない」という言葉もあった。ICUの特徴として一般的にはリベラルアーツ、垣根のない学びが有名だが、そもそものコミュニティの中に垣根が存在しないということだ。

ICUを発展的に捉えた際に、もはやリベラルアーツ教育だけでは語りきれない、大学としての特色が存在することがわかる。

Paragraph 05

COVID-19を受けて、変容する教育のかたち。
奪われた「場」と、与えられた「オンライン」。

今後の教育を考える上で、地球全体が直面する感染症やグローバルイシューに対応することは必要不可欠である。特に、新型コロナウイルス感染症により、高等教育のあり方は突如大きく変化した。当然ICUも多大なる影響を受け、2020年3月上旬には全国の大学に先駆けて、全授業のオンライン化を決定した――。

学長就任前から現場で対応に追われてきた岩切学長だが、1年を振り返りながらこう語った。

「情報のやり取りであれば、オンラインでも事足ります。ですが、大学はそれだけではない。卒論指導やディスカッション、サークル活動、芝生での対話等、『他者と同じ場を共有する経験』が人間にとってはやはり重要なのだと痛感しました。新型コロナ禍の怖いところは、この『場』を奪ってしまうことです」。

初等教育にも携わる平田氏も現場での経験からこのように応じた。

「興味深かったのは、ある小学校での出来事。新型コロナ禍以前からICT教育の一環でタブレットを配布し、生徒たちはそれをいつも使っていました。ところがいざオンラインになると、上手く使えない子どもが出てきたのです。よくよく調べて明らかになったのは、普段教室で隣の子を覗き見したり、教え合ったり、そういった「学び合い」が教育を支えていたという事実です」。

一方で、「新たに見えてきたものもある」とふたりは口を揃えた。

「実はオンラインの方がいいという学生もいるんです。つまり、これまでは対話・対面が当たり前でしたが、実はそれが苦手な人もいたんだなと。それぞれ一長一短があり、現実として見えた1年でした」(岩切学長)。

2021年1月、国内主要都市において再度緊急事態宣言が出された。今後もこのような状況が繰り返されることも予想され、日本の高等教育研究機関にとっても大きな転換期を迎えていると言って間違いないだろう。未来を拓くのは、教育の質の「維持」に留まる姿勢では決してない。得た経験と知見を基に、ICUのユニークなコミュニティが持つ教育の質をいかに変容させ、実現していくかにかかっているのだろう。

[あとがき]

「ICUで教えるのは虚学」──。

冒頭に紹介した平田オリザ氏の記憶に刻まれた言葉。そこには、物事を批判的に捉えながらも、新しい価値を創造する実験場としてのスタンスが垣間見える。それが、現代においては「ユニークなコミュニティ」として確立されつつあり、今、新型コロナ禍により価値を問われている状況であると言える。

そういった状況を乗り越えるヒントとなる “common good”という言葉について紹介する。「共通善」と訳されるこの言葉は、個人や組織だけでなく、社会全体としての「善」を追求する姿勢であり、岩切学長より発せられた。

「“common good”を目指す時、必ずその過程や結果に不利益を被る人は出てきてしまいます。さまざまな声を聞き、クリティカルに考えることが重要です」。

新型コロナ禍により、正に不利益を被る人が多く出ている。そういった時こそ、必要とされるのはクリティカルシンキング(批判的思考)や対話といったICUに根付く教育であろう。「先行き不透明な時代」にこそ、このような教育が養う「生きる力」が広く社会に広まり、“common good”を社会全体で目指す機運が醸成されていくことを期待したい。

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Sub Dialogue

“知”が交わる対話録

フランスに想いを馳せて

「フランス」の文化と特性、そして日本との違い。
演劇と文学。異なる角度で、フランスにゆかりのあるふたりの語らいの時間。

フランスらしさは文化の捉え方。
一人ひとりが考え、議論する習慣が根付いている。

平田氏
私はフランスの演出家に見つけてもらってから、毎年のようにフランスの国立劇場で公演する機会に恵まれています。フランスの面白いところは、ヨーロッパの他の国と比較して「才能を発見することが自分たちの仕事」だ、と自認しているところだと感じます。
岩切学長
数々の洗練された文化を生み出してきたフランスらしいお話ですね。17世紀以降、フランスの文化は世界に大きな影響を及ぼしました。例えば18世紀のドイツや20世紀初期の世界中で、フランス文化は規範や基準となりました。しかも、無理やり押し付ける訳ではなく、評価され・浸透している。やはり文化の発祥としての矜持があるのでしょう。
平田氏
ゴッホやピカソなどの芸術家たちも、異国で生まれながらフランス文化の影響を受けていますね。また、フランスの知識層には「自分たちにないものに価値を見出す」というように、文化を相対的に評価しています。フランスで私の戯曲を上演してくれた演出家がよく言っていました。「この作品を上映することで、日本にはフランスとは全く異なる演劇がある。世界の中心がフランスではないことを示したい」と。
岩切学長
それぞれの文化にそれぞれの価値を見出す、文化人類学的な発想ですね。私はフランスの詩を読んだことをきっかけにフランス文学に興味を持ったのですが、劇場で演劇を観るのも大きな喜びです。パリの劇場にたまたま招待されて行ったときは、前の席に内務大臣が座っていました。
平田氏
そうでしたか。フランスでは、観劇後の過ごし方が日本とは大きく異なりますよね。フランス人は芝居が終わったらカフェにみんなで集まって、その劇に関して議論をする。フランスの植民地政策への批判などをするわけですが、市民たちだけでなく、大臣や市長まで、みんながそこに輪を作ってお芝居に対してちゃんと語るんです。
岩切学長
観劇の後は議論をする、という文化がフランスにはありますよね。劇場や演劇自体も社会に根づいている。その点、日本では働き方の関係か、なかなか観劇をする時間を取ることができないのでしょうか。フランスとの違いの一つかもしれませんね。

PROFILE

岩切 正一郎 学長

国際基督教大学学長。専門はフランス文学。2008年には第15回湯浅芳子賞(翻訳・脚本部門)を受賞。パリ第7大学テクスト・資料科学科第三課程修了 (DEA)。国際基督教大学アドミッション・センター長、教養学部長を経て2020年4月より現職。

平田 オリザ 〔劇作家〕

劇作家・演出家。芸術文化観光専門職大学学長。劇団・青年団主宰、江原河畔劇場・こまばアゴラ劇場芸術総監督。1986年に国際基督教大学教養学部卒業。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲するなど日本・海外で各種賞を受賞。

企画制作・執筆協力:株式会社WAVE

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