学びの最前線
多様な学問領域を幅広く学び、知識を有機的に融合させることで
新たな視点を見出すICUのリベラルアーツ。
その学びは世界を視野に展開されています。



インタラクションと外国語学習の関係を追究
英語教育を専門に、授業に関する研究を20年にわたり続けてきました。ペアワークやグループワークなど、学生同士の関わり合い、つまりインタラクションを取り入れた授業の英語学習に対する効果に関心を抱いています。また、ICU着任後は、英語力に差のある学生で構成される英語開講授業での学習について研究。留学生や帰国生など、英語力がネイティブレベルの学生と、高校まで日本で学んできた学生が集まり英語による授業を受けるICUにおいて、学生同士で相互に助け合えるように工夫したところ、学びの質が高まることが分かりました。今後も、外国語の学習のため、あるいは外国語で学習する際の効果的な教授法について研究を続けたいと考えています。
英語が上達しないのは、間違いを恐れる日本人の傾向にあった

2020年より、英語教育の開始が中学校から小学校に移ります。新たな指導要領では小学3・4年生で英語に触れ始め、5・6年生で教科として読み書きを学び始めます。教員不足などの課題はありながらも、好奇心旺盛な小学生の段階で英語に触れることについては良い効果が期待できるのではないでしょうか。
日本人における英語の大きな課題は「スピーキング」です。それは、日本人の間違いを恐れて発言を避ける傾向が一つの原因と考えられます。小学3・4年生は物おじせず楽しみながら口や体を動かして英語に反応できる年齢のため、英語教育を早期化することで話すことへのハードルは下がるはずです。さらに、異文化に触れることで複眼的な考え方を養えるというメリットはあるでしょう。
リアルタイムでのコミュニケーションに対応する力を磨く

これからの英語教育は「英語で何ができるか」が熟達度の指標になります。また、過去の英語教育では、リスニング、スピーキング、リーディング、ライティングなどそれぞれ別々に測ってきました。しかし、実際に英語を使ってコミュニケーションを取る時には、リスニングとスピーキング、リーディングとライティングを同時に使い、「やりとり」を行うことになります。相手の発言やその場の状況に反応することが求められ、語学力だけでなく知識と思考力、あるいは異文化に対する理解などが必要となるのです。
そのために、最近では、従来の語学力の枠を超えた授業が小、中、高レベルで見られるようになってきました。例えば、英語と社会の授業を組み合わせて展開するような先駆的な取組みも見られます。社会の授業で学んだ内容と関連のある英語の文章を読み、それについて生徒同士でディスカッションを行います。教材の英文を単に読み解くのではなく、内容自体を検討し、他の教科と関連した学びにつながるのです。
こうした「内容」のある英語でのやり取りを行なうには、伝えたい知識、表現したい思いや考え、アイディアなど、表現の中身の「在庫」の蓄積が必要となります。これから英語を学ぶ、あるいは学び始めている小学生は、まずは家の外に出かけて、たくさんの実体験を重ねることが大切だと思います。そして、それらの体験について自分の考えを自分の言葉で表現することこそがコミュニケーションの基礎になります。
一方、日頃の母語でのコミュニケーションにおいて注意すべきことがあります。それは「単語」だけで話を済ませないということです。単語でのコミュニケーションは文脈を共有している相手でないと通じにくいため、社会で様々な人とのやり取りが発生する大人には「文」でのコミュニケーションが必要になります。また、英語でのコミュニケーションでも「文」で表現することが基盤となります。単語ではなく、文章で表現する習慣をつけることが大切だと思います。
今後、社会は予想もしない方向へ進むかもしれません。何が起こるか分からない時代だからこそ、様々な状況に対応できる力が必要です。英語は多様な世界を知るための一つのツール。子どもたちが言葉を通して新たな知見と出会い、世界が広げてゆくことを願っています。
Profile
藤井 彰子 准教授
[メジャー:言語教育]
国際基督教大学(ICU)を卒業後、東京大学にて修士号、ICUの英語プログラム(当時ELP: English Language Program)で特任講師を務め、アメリカ/ジョージタウン大学にて博士号を取得。クラスルームリサーチなど、英語教育について研究を続けている。2016年より教育・言語教育デパートメントに着任。


自分を振り返る力
―――― 講演*でもAI(人工知能)のことを論じられていますが、先生はいつ頃からAIに関心をもったのですか。
*2017年11月11日 ICU同窓会主催「リベラルアーツ公開講座」録画映像
森本:以前に人文科学の先生たちと「人間の人間らしさってどこにあるのだろう」と討論したとき以来です。
――――『人間に固有なものとは何か』(2011年、創文社)をまとめた頃ですね。
森本:はい。哲学・神学・文学・音楽・古典など、まさに人文科学らしい議論で、社会科学や自然科学からも質疑が加わって、とてもリベラルアーツらしい本になりました。
―――― AIは分野的にはコンピューターや情報科学のような気がしますが、人文科学の問いでもあるのですか。
森本:人工知能を問うなら、人工ではない本来の知能とはいったい何だ、という問いが出てくるのは当然でしょう。それは「知の知」である哲学が昔から問うてきたことです。人間は、3,000年も前から「人間とは何か」を問い続けてきました。東洋でも西洋でも。

―――― ちょっと自意識過剰な生き物ですね。
森本:ええそうなんです。ただ、人間が自分のことを知るには、何らかの「鏡」が必要です。かつてそれは神や動物との比較でしたが、今は何と言ってもロボットやAIです。わたしも以前の講演で少し触れましたが、試しに「チューリングテスト」「中国語の部屋」「科学者メアリーの部屋」「クオリア」などという言葉をウェブで検索してみてください。AIがデカルト以降の「心身問題」、つまり心と身体はどう関連しているのか、という問いにつながっているのもおわかりいただけると思います。
―――― 講演では、「知能」と「知性」の違いを説明しておられました。
森本:英語で人工知能はArtificial Intelligenceですが、同じ"AI"でも、これをArtificial Intellectと言う人はいません。どうしてでしょうか。Intellectというと、「知能」というより「知性」ですが、実はこの言葉は人間にしか使われないのです。「インテリジェントな動物」はいるし、「インテリジェントな機械」はありますが、「インテレクチュアルな動物」はいない。いたらきっと、ロダンの彫刻みたいな「考えるサル」になるでしょう。
―――― それはちょっと笑えますね。
森本:どこが変なのか。「インテレクチュアル」である、つまり「知性」があるということは、知の力を自分自身に振り向けることができる、ということだと思います。自分を振り返る力です。わたしは、そこに人間らしい知のあり方が見えるのではないかと思うのです。
―――― ということは、AIにはそういう知はない、ということでしょうか。
森本:その通りです。
AIと人間の違い
―――― しかし、昨今の目覚ましい発達ぶりからすると、今はなくても、近い将来にそういう自己認識能力をもったAIができるのではないでしょうか。2045年頃にはAIが人間の能力を超える「シンギュラリティ」に到達する、という人もいます。
森本:わたしはそう思いません。これは、発達や進化の問題ではなくて、原理の問題だからです。というより、AIが進化する、ということ自体が、AIの限界なのです。
―――― よくわかりません。どういう意味でしょうか。
森本:AIは、今後も進化を続けるでしょう。足りない能力があれば、それを次々に獲得してゆくでしょう。その進化は原理的に無際限です。でも、自分を自分として認識するためには、対象が有限でなければならないのです。自分という存在はここからここまでだ、という限定性がないと、それを総体化して自分と認識できません。
―――― 限界がないことが限界だ、ということですか。
森本:はい、そうです。人間は、空間的にも身体という限界があります。義手義足をつけるとしても、無限には伸ばせません。時間的にも寿命という限界があり、いつかは誰もが死を迎えます。だからこそ、その限りあるまとまりを自分として知ることができるのです。

―――― たしかに、無限に生き続けるとしたら、毎日がものすごく退屈になりそうですね。
森本:有限だからこそ、この一瞬のきらめきが尊いわけです。人間が有限でなくなったら、詩も音楽も芸術もなくなってしまうでしょう。日本なら「もののあはれ」と言いますが、中世ヨーロッパなら「メメント・モリ」(memento mori)です。自分が死すべき存在だということを知っているから、生が尊いと感じられるわけです。
―――― AIにも芸術の真似はできるけれど、限りある生を自覚してそれを楽しめるのは人間だけなのですね。
森本:はい。もう一つAIとの違いで面白いのは、人間だけが間違える、ということです。
―――― コンピューターも誤作働を起こすことはあると思いますが。
森本:ええ、でも問題は、それを誤ったと認識するかどうかです。こういう問いを「擬似問題」と片付けてしまうAI研究者もいますが、わたしはそこに思索を深めるヒントがあると思います。間違いを悟ると人は失望しますが、ある経済学者は失望こそ人間がもつ独自な能力だと言っています。昔から「過つは人の常」(errare humanum est)と言うでしょう。そこに人間らしい経済活動の可能性があるわけです。
AI時代に必要なリベラルアーツ
―――― ますますリベラルアーツらしい話ですね。最近の有識者や経営者には、AIが発達すればするほど、科学や工学ばかりでなく、芸術や歴史、哲学や宗教を学ぶ必要がある、と言う方もおられます。
森本:わたしもそういう風向きの変化を強く感じています。ICUは1953年の献学以来リベラルアーツを掲げてきましたが、最初の50年くらいは、誰もそんなカタカタ言葉に振り向いてくれませんでした。ところが21世紀に入って、企業の採用担当者たちが「大学はぜひリベラルアーツをやってほしい」と言うようになりました。
―――― 何がそういう変化をもたらしたのでしょうか。
森本:時代や社会の急速な変化でしょうね。リベラルアーツというと、日本では文系と受け取られがちですが、ICUでは物理・化学・生物・数学・情報科学などの理系も揃っています。そういう総合力を身につけて、どんな変化が起きても柔軟に対応できる体幹を鍛えておかないと、狭い専門だけをやっていてもすぐに時代遅れになってしまいます。ICU卒業生の今後の活躍に、ますます期待したいと思います。
Profile
森本 あんり 学務副学長/教授
[メジャー:哲学・宗教学]
国際基督教大学教養学部卒業。1982年東京神学大学大学院修了。プリンストン神学大学博士号(組織神学)取得。1997年国際基督教大学教養学部人文科学科準教授として着任。同教授を経て2012年より現職。最近の著書として『反知性主義』、『異端の時代』、『宗教国家アメリカのふしぎな論理』などがある。


近い将来、銀行は IT企業になる。
大学で学んだ統計学や金融工学をバックグラウンドに、金融機関での実務経験を経て、今はAIを活用した為替予測モデルの開発や、先進的な信用リスクの管理方法などの研究を中心に行っています。そうした中で日々感じるのは、IT技術を使った新たな金融サービスであるFintech(フィンテック)による改革が加速度的に進む現在において、銀行は業務の進め方や行員の起用方法の大変革に直面しているということです。
銀行はいまでも大学生の人気の就職先の一つです。高給や安定が理由でしょうか? 加えて親御さんが抱くポジティブなイメージも影響しているのかもしれません。でも少し、イメージの切り替えが必要であるということを、フィンテックやAIと絡めて少し大げさにお話します。ずばり今後の銀行は、IT企業になるか、IT企業がメインで銀行業を担っていくことになります。金融業はIT産業になるということです。これまで「銀行」という単語の響きが持っていた特別感は大幅に薄れ、参入障壁もこれまでとは比べ物にならないくらい低くなることで鉄板レースが展開されるでしょう。これは予想というより、スーパー、コンビニやネットバンクの出現など実際の動きからもほぼ既定路線です。銀行では既に大変革がはじまっているように、様々な業務が機械化され、その結果、機械処理の正確性、処理速度など、あらゆる面が人に拠る仕事のクオリティを上回っています。お金を扱うバンカーの信頼は、セキュリティシステムが担っていきます。隣国でのアリペイ(中国のアリババ・グループが提供するキャッシュレス決済サービス)のように、日本でもキャッシュレス決済が普及し、銀行の用事はおおかたスマートフォンで済むようになります。それゆえに銀行の店舗やATMは大幅に削減され、電車の各駅に銀行の店舗があるのは過去の話になっていくでしょう。メガバンクでは、数万人の人員整理計画も報道されていることがその証拠です。「安定」の代名詞だった銀行は今、大きな転換期を迎えているのです。
加速するIT化、その光と影。

銀行の口座管理以外の重要な業務にはバンキングとトレーディングがあります。これらとAIとの関係性について考えてみます。
前者は、伝統的な銀行業務の一つです。銀行は預金者のお金を企業や個人に貸付、その際に受け取る利子と、預金者への利払いの差額を利潤として受け取ることで業務が成り立っています。いまのような低金利時代には、極限までコストを削減し、そのうえでいかに正しく融資先を評価して案件の可否を判断し最良の融資ポートフォリオを構成できるか、リスクに応じた条件、特に利子率を設定(プライシング)できるかが勝負の分かれ目になります。もしも銀行がコスト削減を怠れば、必然と融資金利は高くなります。そこで良い企業は低利の銀行にシフトするか、自分で債券を発行して直接的に市場から資金を低利で調達しますので、コスト高の銀行のポートフォリオに残るのは信用力の低い融資債権だけになってしまいます。借り手側である企業や個人は、融資金利をはじめとする諸条件をインターネットで比較すればよいことを考えれば、銀行にとって大切なのは、営業力よりも融資審査である気もしますが、ここにも自動審査というIT化の波が忍び寄ってきています。我々預金者や株主は銀行になにを求めるでしょうか?それは正しい融資判断に加えて、意思決定の透明性や説明性でしょう。これは当局の視点から見ても同じです。つまり、特定の銀行員だけが理解できる、論理展開が飛躍する夢を語るような融資判断ではダメで、誰が審査しても同じ決定ある必要があります。もしある企業が、審査担当者や支店長が変わって、方針が変わったので案件を拒否されたり、融資を停止させて欲しいと言われても、借り手側が納得できるはずがありません。つまり、全店舗、全行員で統一的な意思決定を行うには機械的なアルゴリズムを導入すればよく、人が設計したプロセス通りに機械がジャッジしていくのが銀行内部で整合的で正確だし効率的です*1。
さらに、これまでの審査方法に加えて、膨大な口座の動き(トランザクション情報、ビッグデータ)を読み込んで、企業の資金繰りなどを評価することが機械化により可能となります。これらは既に米国では導入され、機能している*2ことからも、日本での審査のうえで重要になることは間違いありません。それが故、メイン口座を獲得し、膨大なデータを入手すべく、銀行間ではしのぎを削っています*3。これまで日本の融資審査は、担保主義などと呼ばれていましたが、これからは事業性やキャッシュフローを重視する方向にかわっていきます。この際の膨大な情報処理を、人手に頼る方法ではとても処理しきれません。ここでも機械に頼らざるを得ないのです。
次にトレーディングは、いわゆる株式、債券、為替、デリバティブなどの売り買いによって収益を得ることです。これも簡単ではありません。よく学生から、金融工学を勉強すれば儲かる株式銘柄が選定できたり為替レートの将来予測が数式から得られるのかと聞かれますが、実はそれは全く違います。第一、学問的に価格が上昇する銘柄が分かるならば、そんな方法は瞬く間に一般法になり誰もが知っている筈で、それゆえ安い銘柄(本来の価格よりも価格が低すぎる銘柄)が存在すること自体が矛盾です*4。投資銀行などで、大きな利益が得られているのは、商品の原価はフルヘッジのコストで、これに大きく利幅を上乗せして金融商品を販売するからです。それゆえに無リスクで、販売と同時に莫大な利益が計上できます。話をフィンテックとの関連性に戻すと、トレーディングにおいてもフィンテックが活用されつつあり、HFT(ハイフリクエンシートレード)などでは、ミリ秒単位で機械がプログラム通りに売買作業を行っています。それもやはり、学習も含めて設計者の指示どおりの行動になります。ミリ秒単位での売買ですから、人間が価格の変動を認知して行動を起こすまでのスピードを遥かに超えており、過去には機械が暴走したケース(2010年5月6日のフラッシュクラッシュ:ダウ工業株30種平均が数分間の間に約1000ドル下落した。)もあります。こうなると、瞬間的な異常時には機械にしか止められません。市場とは、人が創った仕組みなので、自然相手ほどの想定は不要かもしれませんが、機械による制御とは高々人間が定義した「異常」に条件が合致した場合にのみ、プログラムどおりの対処法が走るものでしかなく、未経験の事象には無防備である点が潜在的な欠陥です。将来的な市場の動きは、これまでの市場動向のパターンをいくら読み込んでも、完全に予測できるものではありません。つまり、おおかたは経験分布で説明できるかもしれませんが、大きな脅威を感じるのは、過去に経験したパターン以外の動きをしたとき、つまり機械で制御ができない事象が選択されたときです。こうした機械の限界とリスクを加味しながら、銀行は業務の変革を進めていく必要があります。
未来のバンカーに必要なのは、既存の概念にとらわれない柔軟な思考
Fintechの一部としてAIの活用も進んでいますが、現在の金融業界におけるAIは、自発的に意思決定する知能のように見えて、実は人がルールを考えてプログラムした忠実な機械というのが現状です。AIが人間を凌駕する、いわゆる技術的特異点まではもう少し時間を要するというのが私の見解です。全ての銀行には意思決定の結果や仕組みを当局に説明する必要があり、人間の理解の範囲を超える、AI独自の複雑な思考モデルは導入できないためです。
しかしながら、将来的には銀行がより多くの意思決定をAIに委ねる時代がやって来るでしょう。こうしたパラダイムシフトが訪れる可能性の高い銀行には、ICUのようなリベラルアーツカレッジで、分野を横断してさまざまな学問に触れ、グローバルな視野と自由な発想を持った人が大きな力を発揮すると思います。既存の概念にとらわれず時代の潮流を読み柔軟な思考をもとに対応できる人こそが、銀行の新しい方向性を見定め、導くことができるものと考えています。その意味では、非常にチャレンジングで、やりがいのある仕事に満ちているのが未来の銀行業界だと言えるかもしれません。
*1 スコアリングモデルと呼ばれる方法があり、アルトマンのZスコアーがよく知られている。今はバンカーによる審査の補助的な位置づけだが、今後は重要な役割を担うことになる。機械によるジャッジは、融資先が要注意先なのか破綻懸念先なのかの判定で時間をかけて迷うことはない。倒産判別モデルは、財務データなどから客観的な数値を算出し、それに基づいて人が意思決定を効率的に進めることには大きな意味がある。
*2 米国では個人は過去のトランザクション情報からファイコスコアを得て、リスクに応じたローン金利が適用され、ファイコスコアが660点以下であると、サブプライム層にカテゴライズされる。
*3 2011年1月の世界経済フォーラムでも、"Personal data is the new oil of the Internet and the new currency of the digital world." あるいは、Personal data will be the new "oil" - a valuable resource of the 21st century. との発言もある。(参考:http://www3.weforum.org/docs/WEF_ITTC_PersonalDataNewAsset_Report_2011.pdf)
*4 ファンダメンタルズ から乖離したミスプライスがあっても、市場取引の結果についた値段であれば、それこそが正しいプライスになる。将来的な価格の上下動を分析するアナリスト職は存在するが、その予測が本当に100%当たる自信があるならば、その分析結果に基づいて自らが売買する方が効率的である。金融工学に基づくプライシングでは、将来の期待値がリスクフリーになる確率測度を用いてプライシングを行うので、その意味では金融商品の期待値はリスクフリーと同等になる、つまり何を買っても期待値としてリスクフリー以上に儲からないということになる。

Profile
金子 拓也 准教授
[メジャー:経営学]
慶應義塾大学理工学部数理科学科を卒業後、東京工業大学大学院にて工学修士・博士号を取得。外資系投資銀行勤務等を経て、2013年4月より現職。

国際関係における、中国側の視点を探る。
東アジアの政治、中でも日中関係に主軸を置いた研究を始めたのは、1990年代に日本と中国の両国を訪れたことがきっかけです。当時、バブル期で飛躍的に経済発展を遂げていた日本に対し、中国は今以上に共産党の力が強く、発展途上の時代でした。近接する2つの国が、どうしてこうも違うのか。両方とも素晴らしい国なのに、なぜ関係が良くないのか。その背景に迫りたいという思いに突き動かされ、研究者の道を歩み始めました。
現在、年に5~6回中国を訪れて政策者・研究者・安保専門家や研究者にヒアリングを行い、中国側の視点から見た日中間を含む国際関係について研究を進めています。通常は欧米流の国際関係論を用いて論じますが、長い歴史を持つ中国には独自の国際関係論が存在するかもしれない。それを明らかにし、対日本や対欧米の外交に関する分析を行うことで、山積する国際課題の解決への糸口が見えてくるのではないかと考えています。
研究の場として日本を選んだのは、政治的な干渉が大きい中国では、依然としてこの分野に関する研究の自由度が低いためです。さらに、ICUはリベラルアーツカレッジであり、中立的な立場で歴史や国際関係を研究している大学です。日本人でも中国人でもない私には、ICUの中立的なスタンスは理想ともいえる環境で、国際関係学を専門とする他の先生方とも連携しながら研究を進めています。
米中関係が、世界情勢にもたらす影響。

現在の東アジア情勢を語る上で欠かせないのは、やはり中国の台頭です。1980~90年代、世界のマスコミはバブルに沸く日本の動向に注視していました。しかし現在、海外メディアがアジア圏に関して最も報じているのは中国のニュースです。日本について取り上げられるのは、草食系男子や働きすぎの問題など、一風変わったトピックスが中心。憲法改正や軍事予算増加、ジェンダー格差などに関する批判の強い記事も目立ちます。中国経済が発展すればするほど、世界における日本の存在感は薄れつつあるのです。
また、中国とアメリカ、2つの大国の関係も、東アジアのみならず世界情勢に大きな影響を及ぼします。そもそも中国の対日外交と対米外交における違いは、直接的な戦争の有無。中国とアメリカは、イデオロギーの対立はあっても武力で争ったことはなく、あくまで経済競争の相手です。しかし日本と中国の間には、2つの戦争に由来する悲しい歴史が存在し、経済のフィールドだけでは解決できない問題が横たわっています。
1970年代より、中国とアメリカは経済、文化、政治の各方面で親密な関係を築いてきました。しかし、世界第2位の経済大国となった中国がアメリカを追い越すのは時間の問題だと思います。すでに現在、中国の目覚ましい経済発展により米中関係は悪化しつつありますが、中国の国力がさらに強大になればそれが加速し、他の国々にも悪影響が及んでくるかもしれません。また、中国による南シナ海の軍事拠点化が問題視されていますが、経済力の高まりを背景とした軍事力の強化も懸念されることの一つです。
国際社会で力を発揮するために日本がすべきこと
東アジアの安全保障問題に関しては、北朝鮮の核問題も世界の注目を集めています。2018年5月にはトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長との会談も行われましたが、少なくとも軍事化経済と言われる経済構造を改革しないことには、非核化は実現しないでしょう。自由経済によって国民の意識を変革できれば、解決の道筋が見えてくるはずです。そのために日本がとるべき行動としては、核兵器廃絶に向けた条件付きの経済支援も一つかもしれません。日米同盟の傘のもとで近隣の国と協力しながら、10~20年の長期的なスパンで、粘り強く、一歩ずつ進めていくしかないと思います。
アジア、そして世界の中で、今後日本はさらに日米同盟を強化し、東アジアやヨーロッパとの関係性も強めていく必要があるでしょう。アメリカや中国に比べて小国である日本は、他国との関係性をより深め、国際舞台で確実に力を発揮していかねばならないのです。
また、国力には経済力が大きく影響するため、国内の経済格差を是正し、働き方改革を進め、平等で生産力の高い社会へと転換していくことも求められています。これに関連して言えば、現在研究を進めている最中ですが、AIやITが経済や政治、ひいては国際関係に影響する時代が到来しています。日本においても、環境×AI、非核化×AIなど、各分野におけるAI活用を進める専門家の育成を急務と捉える必要があると思います。
Profile
ナギ, スティーブン R.上級准教授
[メジャー:公共政策、 国際関係、 政治学、 アジア研究]
カナダ・カルガリー大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に進学し修士・博士を取得。香港中文大学日本研究学科助教授を経て、2014年9月よりICUに着任。 2017年12月よりアジア太平洋基金(APF Canada: Asia Pacific Foundation of Canada)特別研究員、2018年1月よりカナダ世界問題研究所(CGIA: Canadian Global Affairs Institute)研究員、2018年9月より戦略国際問題研究所(CSIS: Center for Strategic and International Studies)リーダーシップ・フェロー。

私を日本文学の世界に誘った2度の運命的な出会い。
イギリスに生まれた私が、日本という国に興味を抱いたのは、本当に偶然の出会いがきっかけでした。大学進学のための面接が1週間後に迫った頃、友人と立ち寄ったパブで日本人と思いがけず話し込んでしまったことが全ての始まりです※。たった30分程度の何気ない会話でしたが、「フジヤマ」「サムライ」レベルの知識しかなかった私にとって、初めて聞く遠い異国の話は何とも言えず非常に興味を掻き立てられました。そのため、大学ではフランス語とドイツ語を学ぼうと考えていましたが、急遽日本研究に変更しました。
それ以来日本文学に没頭した私は、博士論文の研究テーマを検討する中で、たまたま手にした日本人作家のリストに目を止めました。ピックアップされている20人の作家の内、10人がキリストの教えに共感していたからです。当時は日本に1%もクリスチャンがいない時代。仏教や神道が圧倒的多数を占める国において、衆目を集める作家の半数がキリスト教に興味を抱いていることに大変驚いたのを覚えています。私はその中から4人の作家に特に注目し、今ではその内の一人である遠藤周作の作品を特に分析・研究するに至っています。
※イギリスでは18歳の飲酒は合法
遠藤周作が作品に込めた宗教への想いとは。

私の研究の特徴は、作品を文学的に評価することより、当時の社会的状況を加味して読み解くことに重きを置いている点です。中でも、作家自身の信仰がどのように作品に反映されているかは私にとってメインとなるテーマの一つです。
遠藤周作は母親の影響でキリスト教に入信していたものの、比較的寛容な宗教観の持ち主でした。そのため、異なる宗教学者同士の対話を盛んに促していたようです。その考え方は、代表作の一つである『深い河』にも表れています。さまざまなバックグラウンドを持った6人の日本人が、インドのガンジス川を目指して道中を共にする様を描いた作品です。旅の理由が異なる彼らが、苦難を乗り越えて共に目的地にたどり着き、それぞれ悟りに近い神聖な体験をする。それはまさに、表面的な違いはあっても信仰心そのものに隔たりはなく、宗教と宗教の間に対話が成り立つことを象徴していると言えます。
一方で、遠藤は自ら「日本人」と「クリスチャン」という二つのアイデンティティの間でジレンマを感じていたと公言しています。私は本人から、母親によって当たり前のように選ばされたキリスト教徒としての生き方を、何度も放棄しようと試みたという話を伺ったことがあります。
そんなジレンマを垣間見られるのが『私が棄てた女』です。簡単に解説すると、田舎から出てきたミツという若い女性が、東京で出会った吉岡という男との悲恋や大病の疑いと闘った末に不慮の事故で命を落としてしまうというストーリーで、ミツの死を知った吉岡の自省の念に駆られた手記の体裁をとっています。
遠藤は、この作品が"私が棄てたイエス"と言い換えられると話していました。ミツのもとを離れて他の女性と一緒になることを選んだ吉岡という男の心境が、自分自身のキリスト教への揺らぐ想いと類似していると、数々の講演で公にしているのです。遠藤は最後までイエスの教えから離れませんでしたが、日本人であるがゆえに常に宗教的な違和感を抱きながら日々を送っていたことを如実に表した作品です。
学際的な分野と多様な文化に触れる意義。

リベラルアーツを標榜するICUですが、多聞に漏れず私も学際的に研究を行っています。遠藤周作を中心に日本文学を題材に上げながら、作品に秘められた宗教観や当時の社会の状況を読み解いていく、その包括的な視点にこそ面白さがあると感じています。
母国イギリスでは、日本の多くの大学がそうであるように入学の時点で専門を決めるのが一般的です。私自身、運命的な出会いを経て18歳で日本文学の世界に飛び込みました。結果として、今でも同じ道を進んでいることを思えばその選択は正解でしたが、やはり専門分野を決定するには10代は若すぎる印象があります。私は日本でリベラルアーツに出会い、その魅力に感銘を受けました。幅広く知識をつけた上で専門を深められるという点で、ICUは素晴らしい環境だと感じています。また多言語でのコミュニケーションが当たり前で、それに伴って多様な文化に対応する力を伸ばせることは、学生にとって非常に有意義です。国境の概念がさらに薄まっていくこれからの社会では、バイカルチャーもしくはマルチカルチャーを理解した人をグローバル人材と呼ぶのだと思います。
多様な文化に触れる経験をしたい人は、ぜひICUに入学して欲しいですね。
Profile
マーク・ウィリアムズ 教授
国際学術交流副学長 [専門:日本文学]
オックスフォード大学で日本研究をスタートさせた後、カリフォルニア大学、大学院にて東洋・日本分野の研究を続けた。1991年に博士課程を修了してからは、国内外の大学機関で日本についての教育・研究に従事している。2017年9月より現職。
※ウィリアムズ国際学術交流副学長は、授業は担当していません。


地球全体を俯瞰する視点で、環境に優しい経済活動を支えたい。
化学の中でも大気汚染を専門にしており、今は特に光化学オキシダントの原因物質について研究しています。特に窒素酸化物、反応性窒素酸化物について研究しています。窒素分子と酸素分子はもともと反応性が強いわけではありませんが、発電所や自動車のエンジンによって空気が熱せられることで、化学結合が組み変わって、窒素酸化物ができることが分かっています。
国内の環境に目を向ければ、数十年前に比べて空気はずいぶんきれいになりました。しかし大陸から流れてくる空気には、種々の開発の影響が色濃く表れているのが現状です。
日本を含めて大きな規制も無く開発を進めてきた先進国が、環境への負荷を理由に発展途上国の開発を中止させることはできません。私たちがすべきは、経済活動をやめさせることではなく、自国の産業を守りつつも、技術を提供したり、より環境に優しい形で経済の発展や開発が進む方法を明らかにすることです。大気科学者は、より効果のある対策を明らかにし、時間帯を限定した規制を提案するなどして、科学的立場からの知見が国際的な政策を決めるうえでの道筋になればと思い、日々研究を進めています。
国内外の研究者との連携。"境界"にこそ研究の面白さがある。

研究を進める中で、国際学会などへの参加を通じて海外の研究者と交流する機会も多いです。気候や街のつくられ方、人口密度や市民の生活習慣など、条件によって得られるデータは全く異なるため、計測に行けない国の数値は海外の研究者から収集して参考にしています。
また、海外との連携に限った話ではありませんが、どんな研究も一人ではできません。大気には約1,000種類の物質が含まれており、窒素酸化物が反応を示す物質をすべて私が分析することは事実上不可能です。多くの場合、それぞれの物質の専門家同士で集まって、共同研究を行っています。大きなフィールドワークになると、10~20のグループが集まって研究することもあります。
近年、教育・研究の世界では"interdisciplinary(=学際的)"というワードが盛んに聞こえてくるようになっています。2016年に大気環境学会にて賞をいただいた、水田に関する研究※でも稲作の専門家にご協力いただき、水の管理方法や栄養と成長の関係などに関する情報を得ながら、研究を進めました。私自身も、異なる分野の研究者などと連携して新たな発見を生み出すことは、研究活動の醍醐味の一つであると感じています。
※『水田土壌からの亜硝酸ガス(HONO)直接発生フラックスの測定および大気濃度への寄与評価』
参考記事:https://www.icu.ac.jp/news/20160630.html
幅広く体験して学ぶ中で、自らの興味を見定めてほしい。

ICUでキーワードの一つになっているリベラルアーツは、まさに"interdisciplinary"を体現した学びです。2年次でメジャー(専修分野)を決定するまでにいろいろな分野の学びを経験できるので、高校卒業の時点でさまざまな方向に興味が向いている人には最適だと思います。
私が担当している一般教育科目の「自然の化学的基礎」は、受講者の9割以上が文系の学生です。彼らが社会に出た時、商品開発や法整備の現場でほんの少し化学の話が出るだけで思考が停止してしまうようでは非常にもったいないと思います。そうした場で、相手を理解できるようになってほしいと考え、身近な話題で興味を喚起しながら授業を展開しています。
教員もより有意義な授業を学生に提供するために、成長を続けなければならず、日々研鑽に励んでいます。私はこの夏、スーパーグローバル大学創成支援事業の一環で、教育方法に関する研修に二つ参加しました。一つは新たなアクティブラーニングの手法の習得を目指したもので、早速担当科目に取り入れています。学生の反応も上々です。主体的な学びを通して、少しでも彼らの今後につながる物を得てくれればと願っています※1。
もう一つは英語での授業に関する研修です※2。英語で行う授業では、言語の習熟度が異なるため、学生がどこまで言葉を理解しているか把握しながら進める必要があります。そのため、グループワークを実施しながら、理解度を把握することが多いのですが、必然的に講義形式より進度が遅くなるジレンマがありました。研修では、これを解消するための術をいくつか知ることができ、今後の授業に生かしていきたいと考えています。
ICUは、世界に開かれた大学であり、教員も学生も多様なバックグラウンドを持っています。教室の中でも外でも、自分の世界が大きく広げられる環境が整っているので、学生たちにはさまざまな事に挑戦して、自分の好きなもの、自分ならではの道を見つけてほしいですね。
※1.グローバルリベラルアーツ・アライアンス主催 "Science Pedagogy Workshop"
※2.Oxford EMI Association English Medium Instruction Summer Course
Profile
峰島 知芳 准教授
[メジャー:化学、環境研究]
東北大学で修士課程を修了後、カリフォルニア大学バークレー校にて2008年に博士号を取得。帰国後も研究所や大学で研究を続け、2014年にICUに着任。2016年からは化学メジャーのメジャー・アドヴァイザーを務めている。


変わっていく社会の状況と変わらない価値観。
文化人類学が専門で、特に各国の人口問題について研究しています。研究を始めたきっかけは、大学卒業後のアメリカへの留学。師事していた先生から、人口学という学問の存在を知りました。日本でも少子高齢化が取り上げられて久しいですが、一口に人口研究と言ってもさまざまな学問が関わっています。経済や統計、さらには生物や地理など、それ自体が非常に学際的な分野だと感じています。その中で、マクロな視点に終始するのではなく、国家全体の人口構造とコミュニティにおける生活がどのように関わり合っているかを追求するよう心掛けています。
初めに研究対象地域としたのはタイで、注目したのは、人口動態と家族の在り方がどのように関係しているかでした。タイでは、1990年代から合計特殊出生率*が人口置き換え水準**を下回り、少子高齢化が問題になっていますが、研究を進めるうちにタイ特有の考え方や価値観がその要因となっていることが分かりました。タイでは年金制度がまだまだ未整備なため、子どもが両親の面倒を見るのが一般的で、特に末っ子の女性が残って両親と同居することが多いのです。その背景にはタイ人は伝統的に仏教を重んじ、輪廻転生を信じているため、現世でより多く「徳」を積み、来世で高い身分の人に生まれ変わりたいという考えがあります。男性は大人への通過儀礼として一度は出家するのが伝統で、そこで修行に励むことで「徳」を積むことができると考えられていますが、女性は「出家」することができません。そのため両親の面倒を見ることで、育ててくれた恩を返して「徳」を積むという考えが根強く残っていると、現地での研究生活を通してわかってきました。このタイの伝統的な価値観により女性が両親のもとを離れないことなどにより、お付き合いしている男性はいても結婚をしない女性が増え、結果として合計特殊出生率の低下の一因となっていることが判明しました。
社会の状況が変わっても、人々の生活には変わらない側面があります。研究を進めていく中で、その集団に根付く価値観や考え方を探ることが文化人類学の醍醐味だと思います。
*合計特殊出生率:15~49歳までの女性に限定し、各年齢ごとの出生率を足し合わせ、一人の女性が生涯、何人の子供を産むのかを推計したもの。
**人口置き換え水準:人口が長期的に増えも減りもせずに、親の世代と同数で置き換わるための出生の水準。日本における2015年の値は、2.07。
出生率の低さに垣間見えた、日本人独自の幸せの形。

現在は、日本国内の少子高齢化に目を向けています。生物学的には、妊娠に適しているとされる女性の年齢は世界中ほとんど同じです。また、日本人の女性が他国の女性と比べて生物学的に妊娠する力が低いわけではありません。ではなぜ出生率は下がるのか。養育費などの経済的な観点から議論されることも多いですが、理由はそれだけではないように感じました。
着目したのは日本人夫婦の性交渉の頻度です。日本大学人口研究所がまとめたデータによれば、他国に比べて明らかに頻度が低いことが分かりました。妊娠する力を表す「妊孕力(にんようりょく)」の推計によると、一年以内の妊娠を念頭におく場合、想定される夫婦間の性交渉は、週に1回程度となります。しかし日本人における多くの夫婦の場合、回数はそれ以下で、他国からは「冷めている」印象を持たれてしまうようです。こうした日本の現状に関する研究が発表されたとき、"Marriage without bliss(=至福なき結婚)"という見出しの記事が海外の新聞に掲載されたことからも、感覚の違いが読み取れます。
しかし、日本の夫婦の多くが「至福なき結婚」と感じているかというと、もちろんそんなことはありません。一般の男女を対象に座談会形式の調査を実施したところ、家族としての絆は十分に感じている方ばかりでした。分かってきたのは、日本と他国における夫婦間の距離、親密性を感じる点が異なること。欧米においては身体的な関係を重視するのに対し、日本では「何もしゃべらずに同じ部屋にいても、気まずい感じがしないとき」「人には言えないようなネガティブなことも話せるとき」といった精神的な結びつきに重きを置く傾向が強いようです。
さらに知的好奇心を刺激する研究を。挑戦の原動力は想像する力。

親密性の表現について、現時点ではまだ小規模な聞き取り調査を実施した段階にすぎませんが、今後は調査をより広く展開させたいと考えています。この調査に興味を持ってくれている外国人研究者もいるので、日本だけでなく、タイの隣国ラオスやアメリカを対象に調査を実施するつもりです。日本、ラオス、アメリカの3カ国の情報がそろったところで比較すれば、とても興味深いデータが得られるのではないかと思います。
もちろん、予測と異なる結果が得られる可能性もあります。しかし、そのような状況も楽しみながら研究に向き合っていきたいです。そもそも親密性の表現方法についての調査も、人口研究を始めた当初は考えていませんでした。分からないながらも、答えを想像しながら進んだ結果、今の道にたどり着いたのだと思っています。
同じように、学生たちにも知的好奇心をもち、想像力を大事にしながら学んでほしいと考えています。例えば実験で立てる「仮説」も、平易な言葉で言えば「想像」です。若いうちに多くの人と対話し、さまざまな経験を積む中で想像力を養ってほしいですね。もちろんチャレンジが多いほど失敗も多いかもしれませんが、それも成長の糧。経験の幅が広いほど、リアリティのある仮説を立てられるはずです。無駄なことはありません。全てを成長のチャンスととらえて、挑戦を続けてください。
Profile
森木 美恵 上級准教授
[メジャー:人類学、ジェンダー・セクシュアリティ研究、アジア研究]
東京女子大学を卒業後、ペンシルヴェニア州立大学にて人類学・人口学の修士号および博士号を取得。2007年から約2年間日本大学人口研究所に所属し、2009年4月にICUに着任。


初めて聞く言語の、魅力的な響きに惹かれて。
小学生のとき、母国ハンガリーでジェームス・クラベル原作の『将軍』のテレビドラマを見たことがきっかけで、日本に興味を抱きました。私が最も惹かれたのは、言葉としての日本語の面白さです。当時初めて日本語を聞いた私は、言葉の響きに徐々に魅了されていったのを覚えています。
日本への単純な興味が研究対象に変化したのは、大学に入ってからです。言語に始まり、アジア地域の歴史・文学などに学びの範囲を広げていきました。大学で学びを進めるうちに感じたのは、自分の興味が言語学から歴史学に移っていっていることでした。歴史学はただデータを巻き戻すだけの学問ではなく、当時の人々の心境を理解するという点でとても人間味のある学問だと気付いたからです。それからは、史料を読み解くだけでなく、文献に登場する人たちのパーソナリティや心境、人間関係に迫りたいと考えながら研究しています。そのため、当時の文学作品に目を通し、人々の心境を探ることもあります。また、対象となる人や時代の考証のために、紀行文に記された実際の旅路をたどるなど、フィールドワークを行うこともあります。現地を歩いてみると、文章だけでは見えなかったことに気付いたり、新たな裏付けが取れたりすることも多く、非常に有意義です。
これからも広がり続ける、異国の歴史への探究心。

今は、日本を中心に15~17世紀の東アジア交流史を研究しています。具体的に着目しているのは、室町時代の日中関係がどのように築かれ、中近世移行期における社会・経済的発展が日本の対外交流にどう影響したのかという点。さまざまな文献に当たる中で、明の時代の中国に渡った日本人の日記や文書を集めた「入明記」という史料群に、約10年前に出会いました。
もともとは奈良~平安時代について研究しようと考えていましたが、残念ながらすでに先行研究がたくさん存在していました。一方、入明記の研究は、日本人の研究者の間でも始まったばかりの状況で、とても興味深いものでした。以降、入明記を読み解きながら、日本から中国に渡った人々の心境や、国全体が大陸から受けた影響を追い続けています。
今は中国、日本と東アジアに絞っていますが、今後はさらに範囲を広げてヨーロッパからの人の流れが東アジアの国際環境にもたらした変化についても研究したいと考えています。議論の大きな方向性として、ヨーロッパ諸国の文化や制度が日本と中国の関わりにどのように作用したかがポイントになっています。欧米の力が、勢力図に大きな影響を与えたとする考え方もあれば、東アジア独自の風土が確立されていてあまり作用しなったとする向きもあり、実際にはどうだったのかを解いてみたいと思います。
身に付けてほしいのは、歴史の知識だけでなく深く理解し主張する力。

リベラルアーツ教育を展開するICUには、専門分野を決めずに入学してくる学生が多く、私の授業も歴史を専門としていない学生が多数受講しています。知識の幅を広げてさまざまなことを学ぶことで、広い視野を持つことができるでしょう。
しかし、それだけで終わってしまうのはとても残念です。多様な分野に目を向けながらも、最終的に何にフォーカスして卒業論文を執筆するのかという視点を、学生たちには常に持っていてほしいと感じています。ICUの学びの範囲はただ広いだけではありません。専門の先生に師事すれば、その分野を深めることも可能です。のんびりと多様性に身をゆだねるのではなく、4年間のうちのどこかで範囲を狭めていくことがとても大事ですね。
また授業では、学生たちに一部ではなくあらゆる資料を探ったうえで自分の考えを主張するよう、徹底して指導しています。特に歴史学は、すでに起こった事実について検証する学問です。勝手な解釈で話を展開するわけにはいきません。複数の文献を深く読み取り、十分に理解した上で自分なりに主張することを心掛けてほしいです。そのためには、史料を読み解くだけでなく、当時の人たちの生活や社会情勢などに思いをめぐらせながら考察する、リベラルアーツの素養が大切になってきます。歴史学を学びながら、さまざまなことを関連付ける力や、知識だけではなくディスカッションにおいて基礎となる「深く理解して主張する力」を養ってほしいですね。
Profile
オラー・チャバ 准教授
[メジャー:歴史学、日本研究]
母国ハンガリーで中国学・日本学の修士号を取得した後、ドイツに渡りルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンで中国学を研究し、博士号を取得。2007年からは東京大学に留学し、2014年に日本史学の博士号を取得した。その間、同大学で外国人特別研究員を務め、2012年9月より現職。
