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2019年夏季卒業式を挙行

公開日:2019年7月2日

6月28日(金)、学部生124名と大学院生34名の総勢158名が卒業の時を迎えました。献学以来の慣例のとおり、学生一人一人の名前が読み上げられ後に、学生たちに学位記が渡され、壇上では日比谷潤子学長が学生と祝福の握手を交わしました。

続いて、式辞に立った日比谷学長は、ICUへの留学経験をもち、2019年3月15日に本学が名誉人文学博士号を贈呈した、ジョン・デービソン・ロックフェラー4世元アメリカ上院議員の人生において、ICUでの学生生活が同氏の視野を広げ、人格形成に深く寄与したことを、同氏の経歴や言葉を紹介しながら卒業生・修了生に伝えました。

また、式の中では2019年4月1日付で名誉教授となった磯崎三喜年教授、ウィルソン, リチャード L.教授、大西直樹教授、鈴木寛教授、髙澤紀恵教授、守屋靖代教授に名誉教授の称号書が授与されました。

日比谷潤子学長 式辞(全文)
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ルカによる福音書第12章第48節b
 多く与えられた者からは多く求められ、多く任された者からは更に多く要求されるのである。



教養学部卒業生、博士前期課程・後期課程修了生のみなさん、おめでとうございます。ご参列のご家族、ご親戚、ご友人の方々にも心からお祝いを申し上げます。

3月15日国際基督教大学は、ハーバード大学在籍中の1957年から3年間ICUで日本語を学んだジョン・デービソン・ロックフェラー4世元米国上院議員の長年にわたる公職活動と日米相互理解への貢献を称え、名誉人文学博士号を贈呈しました。留学先を決めるに当たっては、エドウィン・ライシャワー博士の助言が大きかったとのことです。ワシントンDCの旧日本大使公邸で行われた学位贈呈式で同氏は、「ICUはそれまでの日本にはなかったタイプの大学で、多様性を奨励しつつも日本語を習得してバイリンガルにならなければ卒業させなかった」と述べ、漢字学習のために毎朝4時半に起きた経験を披露して日本語教育課程の厳しさを語りました。そうしなければ、厳格さで有名だったプログラムについていくことはできなかったのです。同じ授業を履修していた学生のほとんどは香港からユナイテッド・ボード(United Board for Christian Higher Education in Asia)の奨学金を受けて来日した留学生で、級友と授業で互角にわたり合っていくには何倍もの努力が必要でした。本学は今日に至るまで献学時の方針を堅持し、日英両語によるバイリンガル教育を行っています。現在でも日本語を学ぶことなく教養学部を卒業することはできず、大学院生にも日本語学習を奨励しています。地理的にも文化的にも教育的にも多様な背景を有する本日の卒業生・修了生の大半は、程度の差こそあれ似たような経験をしたのではないでしょうか。もっとも、毎朝4時半に起きて勉強した人は多くないだろうと思いますが・・・何れにしても、ここで身に付けた真剣な学習を尊ぶ姿勢は、ロックフェラー上院議員と同様、みなさんの今後の人生の糧となるはずです。

極東への留学の理由は、語学学習のみではありませんでした。生活の全てを変えることで、自らを試そうとしたのです。2015年にウェストバージニア公共放送が制作したドキュメンタリーの中で、同氏はその動機を次のように語っています。「日本に行ったのは、あのままハーバードにいたのでは決してなれなかった人間になりたいと思ったからです。何もかも自分で対応しなければならない難しい状況、苛烈な状況に身を置いて3年間言語を学び、日本語は上手になりました。そしてルームメートの家族が30世代にもわたって営んでいた農家を訪れたことで、長年の過酷な労働や困難が人々に何をもたらすかを実感するようになったのです。それは人格形成に深く寄与する経験で、公職を目指すことを考え始めました。」同氏は当初キャンパス内の東林荘に住んでいましたが、やがてICUの学部生数名と共に小金井の下宿に移りました。ロックフェラー家という出自や生育条件を考えれば、およそ快適とはいえない環境での生活は大変だったに違いありません。帰国してハーバードを卒業すると数年間、ワシントンDCの平和協力隊およびウェストバージニア州南部の採鉱町エモンズでVISTA (Volunteers in Service to America) の一員として働いた後、1967年から1984年まで州議会議員、州務長官、ウェストバージニアウェズリアン大学学長、州知事といった同州の様々な公職に就き、1985年から2015年までは同州選出の上院議員を5期務めました。この間一貫して、貧困に苦しむ人々に社会的正義をもたらす闘いを続けています。

青年時代の数年間を過ごした日本に対する同氏の思いは熱く、長期にわたって日本と米国とりわけウェストバージニア州との関係強化に取り組んできました。州知事時代に名古屋に開設した事務所は、日本企業の同州に対する初投資案件である1986年のニッシン・ウィーリング社の設立、そして10年後のトヨタ自動車による同州バッファロー工場建設に結実、多数の日本企業がこれに続いています。トヨタの数次にわたる増強の結果、当初の従業員300名から現在は1600名を擁する北米唯一のエンジン・トランスミッション工場に発展し、同州におけるこの半世紀最大の事業となりました。ロックフェラー氏はトヨタのウェストバージニア州誘致を、「私のキャリアの中で最も誇らしいことの一つ」と語っています。2005年の愛知万博ではウェストバージニア州の協力を奨励し、自ら米国代表団を率いて来日しました。

ロックフェラー上院議員が多く与えられ多く任された者の一人であることは、誰しも認めるところでしょう。公職、そして日米市民の人的交流強化へのたゆまぬ努力に捧げられたその人生は、求められ要求された以上のものを与え続けてきた尊い歩みに他なりません。

みなさんは今日ICUを巣立ち、新しい生活を始めます。世界には未だに高等教育、場合によっては中等・初等教育さえ諦めなければならない人々が多いなか、今ここに集められている卒業生・修了生は、学部・大学院で学ぶ幸運に恵まれました。自覚の有無にかかわらず、みなさんは既に多く与えられています。これまで勉学を続けられたという恵みを受けたのですから、多く求められます。やがて、多く任され、更に多く要求される日が来るでしょう。

本日の式辞では、日本とりわけICUで過ごした数年が、ロックフェラー上院議員の人生をどのように変えたかについてお話ししました。ここでの経験がみなさんの将来にも肯定的な影響を与えていくとしたら、大変嬉しく思います。最後に、3月の贈呈式での同氏のスピーチから一部引用します。「ICUでの経験によって私は物事を国際的な視点から捉えるようになり、米国が広い世界の一員であることに気付きました。その影響は、今日にまで至っています。日本は初めての海外体験でしたが、おかげで視野が広がり人生が大きく変わりました。公職に就くことを考えるきっかけともなり、ICUには心から感謝しています。」本学が最初の海外体験だったみなさん、ここでの日々があなた方の視野を広げたことを願います。別の国を経て来たみなさん、その経験と本学での生活が自己をより包括的に見直す契機となったことを願います。そして海外体験はこれからというみなさん、快適な環境を飛び出し、広い世界をみてください。みなさんの行く手に神の豊かな祝福がありますように。

名誉教授称号書 授与

磯崎教授は、1996年4月に準教授として着任され、その後、教授として2019 年3月に退職されるまで、23年の長きにわたって本学の研究教育の発展に尽力しました。在任中は、 ディッフェンドルファー記念館長、入学試験研究主任、心理学デパートメント長、心理・教育学専攻主任、大学院委員会、心理学・言語学デパートメント長などを歴任しました。

ウィルソン教授は1993年にライス大学から本学の准教授に赴任しました。以後教授および特任教授として26年間にわたり本学の教育、研究活動に尽力しました。学内において、比較文化研究科長、ファカルティ・ティベロップメント主任、美術・音楽デパートメント長など多くの役職を歴任しました。

大西教授は1986年に本学の助教授として着任し、以後准教授、教授および特任教授として 33年間にわたり本学の教育、研究活動に尽力しました。大西教授は、教養学部副部長、人 文科学科長、文学研究デパートメント長など、多くの役職を歴任しました。

鈴木教授は、1993年10月に、本学に準教授として着任され、その後教授として2019 年3 月に退職されるまで、25年余の長きにわたって本学の研究教育の発展に尽力しました。学内では、理学科長を2 期、教養学部副部長を2期4年、数学・情報科学デパートメント長、FD主任、サービス・ラーニングセンター長などを務めました。

髙澤教授は、1987年に本学の助教授として赴任し、以後助教授、準教授、教授として32 年間にわたり本学の教育、研究活動に尽力しました。学内のさまざまな役職、ファカルテ ィ・ディベロップメント主任、平和研究所長、アジア文化研究所長、歴史学デパートメン ト長、大学院比較文化研究科長などを歴任しました。

守屋教授は、1997年に教養学部助教授として着任され、2019年3月に退官するまで20年間にわたり本学の研究教育の発展にご尽力しました。学内では、SEA プログラム主任、旧ELP 英語プログラム主任、教育・言語教育デパートメント長などの役職を務めました。

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