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日本学術会議の会員任命拒否についてー学長の見解

公開日:2020年10月8日

日本学術会議の会員に推薦された105名のうち6名が、菅義偉首相によって、前例のない形で任命を拒否され、しかも拒否した理由を首相も官房長官も明らかにしないことから、この任命拒否は政府による学問の自由への恣意的な介入であり、侵害であるという抗議と、このままでは隠蔽主義的で対話を欠いた強権的な統治が学問や文化にたいして行われることになるのではないかという懸念が強まっている。

現時点(2020年10月7日)での政府の見解において、任命拒否の根拠とされているのは、内閣府が2018年に作成した文書である。そこには、「首相が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならない」と記されており、それを理由のひとつに挙げつつ、「首相に推薦の通りに任命する義務があるとはいえない」という結論が示されている。しかしながら、今回の拒否にあたって、首相が国民にたいしていかなる理由で任命の責任を負えないと判断したのかについては、依然として明らかにされていない。

日本学術会議は英語でScience Council of Japanと表記される。Councilというのは、議論やビジネスや立法を目的として人が集まるmeetingとは違って、アドヴァイスしたり協議したりするために識者が集まるmeetingで、次世代を見すえた国全体の教育研究の方向を検討したり、政策にたいする提言を行ったりする集合体である。

1948年に施行された「日本学術会議法」の前文に、会議の設立の意義は次のように記されている。「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」

「文化国家」、「平和的復興」という表現が示すように、その設立の使命、ミッションには、第二次世界大戦以前の日本における非科学的な精神論の暴慢(ぼうまん)と、学問や研究の軍事への従属とに対する深い反省がこめられていた。

この反省と、未来への希望──それは「人類社会の福祉」への貢献、「世界の学界」との提携といった言葉にあらわれている──は、私たち国際基督教大学(ICU)の教職員・学生・同窓生には親しい心の持ち方である。というのも、それはICUの設立の理念を思い出させるからだ。

私たちの大学は、戦争への反省の上にたって、「キリスト教の精神に基づき、国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資すること」を目的として1953年に献学(創立)された。その目的は、「国際性」 、「キリスト教精神」、「学問」という三つの使命に具体化されている。そのなかの宗教性をのぞけば、平和と文化と国際性への理念が学術と教育の基礎に共通してあるのである。今回の任命拒否における紛糾は、我々の日頃の授業を含めたキャンパスライフとは縁の薄い一学術団体と政府とのあいだで起こっている単なるいがみあいなのではなく、その理念において私たちが価値を共有するものへの不当な権力の行使をめぐる問題、そしてまた思想の検閲の問題として認識すべきものである。

私は今、自分が所属する大学と結びつけて語っているが、国内の各大学や研究機関、学術団体は──田中優子・法政大学総長がいち早くメッセージを出したように──みずからのミッションや理念との関係で個別にこの問題について語ることができ、そこから出発してより一般的な観点からこの問題について問い続けることになるだろう。

軍事目的の研究に荷担することや、市民の自由を拘束する危険のある法を制定することにたいして、それを是とする者にその権利があるのと同様、反対の意見を持つことは、学問にたずさわる者の権利であり、そしてまた、自由で平和な日常を愛する国民の権利なのである。任命拒否の理由が明らかにされないために、少なからぬ人々は、それが現政権の意向にそわない者を学術団体から排除する挙措なのではないかと、明白な証拠(エヴィデンス)のない憶測へ追い込まれてしまう。それは社会にとって健康的なことではない。

私たちは「日本学術会議憲章」の第2項にも注意を引かれる。そこには、「任務の遂行にあたり、人文・社会科学と自然科学の全分野を包摂する組織構造を活用して、普遍的な観点と俯瞰的かつ複眼的な視野の重要性を深く認識して行動する」という文言がみられるが、この構造は、人文科学、社会科学、自然科学的な知を総合するリベラルアーツの構造と通底するものであり、ICUが掲げる「行動するリベラルアーツ」と響き合うものである。

Science、つまり、知る(​scio​)ことの営みである学術は、批判的精神と対話と多様性によって成立している。その批判的精神を許容せず、対話や説明を拒否し、任命権をちらつかせて単一の同質性へと思考を押しひしいでゆくふるまいを、我々は受け入れることも看過することもできない。こうしたふるまいは、それに慣れていくうちに、国民精神から健やかさを奪い、すさんだ無気力へと心を沈湎(ちんめん)させていく不幸を生じさせることになりかねないので、一層そうである。

2020年10月7日
国際基督教大学・学長
岩切正一郎

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