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2024年 新年大学礼拝
公開日:2024年1月12日

2024年1月10日(水)、大学礼拝堂において2024年新年大学礼拝が執り行われました。
ジェレマイア オルバーグ宗務部長代行の司式で始まった礼拝では、参列者 一同で讃美歌 二編第1番「こころを高くあげよう」を歌い、コロサイの信徒への手紙3:12-15が朗読され、その後、岩切正一郎学長が年頭挨拶を行いました。
聖書朗読箇所: コロサイの信徒への手紙 3:12-15
讃美歌: 二編第1番「こころを高くあげよう」
岩切学長新年挨拶全文
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も新年礼拝をいとなむことができて嬉しく思います。
あたりまえのようにこの場所があり、ふだんと同じように言葉を交わすことができる。その平安を大切にしたいと思います。
と、このように話し始めましたが、じつはこの新年礼拝のスピーチの原稿は、去年の12月12日が提出締切日でした。
2024年はそんな言葉が場違いに響くような災害とともに始まりました。
新年の礼拝にあたり、私たちはまず、能登半島地震で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。また、被災された方々の苦しみに思いを寄せます。大切な人や財産や思い出の品々を無くしてしまった方たちの心の傷は癒しようもなく深いはずです。ここで祈りを捧げている私たちは、被災された方々に平穏な日常が戻ることを祈り、生活が困難な状況にある方々へどのような支援ができるのか、ともに考えたいと思います。
去年の12月、私は、新年礼拝では次のように言おうと思っていました。
平安のなかで、今年も、ICUに集う一人ひとりが、新しいことに挑戦し、新しい発見と創造の道を進んでいくようにと願っています。
そのように言おうと思い、そして、去年の秋の新入生リトリートで、総合テーマとして、美について考えることを提案したことに言及しようと思っていました。
そのときには、今回の地震が起きるとは思っていませんでしたが、世界の各地では、ウクライナでの戦争や、ハマスとイスラエルの戦闘などが続いていて、苦しみに心を寄せなくてはならない人々は大勢いました。今もその数は増え続けています。そんな状況のなかで美について考えるのは、少し現実離れしていますよね、と自分自身、そしてみなさんへまずは問いかけようと思ったのです。
美しいものはとくに何かの役に立つわけではありません。
けれど、私はひとつのことを強調しようとしていました。美しいものは、それがなければ決して明らかになることがなかったはずの世界を私たちに開いてくれる、ということです。
その、もうひとつの世界の中で、私たちは、心に優しい気持ちが湧き上がるような、そんなひとときを持つことができます。
たとえば、キャンパスの草のなかにスイカズラの花が咲いているのを見つけたとき、私の心のなかに馥郁(ふくいく)とした古(いにしえ)の恋の詩(うた)が香り立ちます。
何を呑気なことを、と思うでしょうか? 世界には戦争や紛争や貧困に苦しむ人たちが大勢いるのに、と。でも、私たちが、平安のなかで美しく輝くものを示せなければ、戦争や紛争や貧困が終わっても、私たちのいるところには空疎な平安があるだけになってしまいます。
私たちは、美を語ることを知らずして平和を語ることはできません。美という言葉は手垢にまみれているというのなら、日常生活のなかの幸せ、とか、わけもなく楽しいひととき、といった言葉に置き換えていただいてもかまいません。
それというのも、苦しみのなかにある人が苦しんでいること、それは、自分、あるいは自分たちにとってかけがえのない美しいもの、美しい思い出、美しいひととき、美しい感情が、失われてしまったという、その喪失感だと私には思えるからです。人がほんとうに心のなかで大切にしているものを具体的に示せなければ、いくら政治的な正義を主張したとしてもその人の言っていることは虚しいだけです。
もし平安や繁栄があっても、それが空っぽの平安、空っぽの繁栄であれば、繁栄のなかに、精神の見るべきものがなくなってしまえば、精神は病気になります。人の心のなかに、優しく、美しく、慈愛に満ちたものを作り出すかわりに、精神は暴力的になります。
そのことを私は、一年の初めに語ろうとしていました。
そしてこう言おうとしていたのです。
約30年前、日本でバブル崩壊が起こる前、バブルに浮かれていた社会のなかで、生きる意味を喪失した人たちの中には、カルト集団へ身を投じ、やがて狂信的な集団へと変貌していった人たちがいた、と。
若い世代の方は、今やもう40歳以上になった人たちから、話を聞いたことがあると思います。今から29年前、オウム真理教の信者が、サリンという猛毒の神経ガスを撒いて、市民への無差別テロを実行しました。その年は、2ヶ月前に阪神淡路大震災も起こり、日本中が打ちのめされたようになった年でした。
地下鉄サリン事件のあと、社会のなかで不安げに語られていた言い回しを私は覚えています。それは、私たちは、右肩上がりの経済成長ばかり追いかけているうちに、何か大切なものを見失ってしまったのではないだろうか、というものでした。
「何か大切なもの」、それは言葉にすれば多分、人との繋がり、とか、絆、とか、愛、とか、慈しみといった言葉だろうと思います。
その後の30年は、経済的に低迷したこともあり、今では、「失われた30年」、と呼ばれています。けれども、その失われた30年の間に、30年前に日本社会が気づいて、大切なものとみなした「何か大切なもの」を、もう一度社会のなかへ取り戻そうとする試みを、人々はやってきたようにも思うのです。その意味では、この30年は、決してただ失われていただけではありません。人間らしい生き方、自然環境と調和した社会、そうしたものの価値を大切にする方向へと、人々の意識は舵を切ったのだと私には思われます。
日本は給料が上がらない、円安だ、生産性が低い、といろいろ批判されています。けれども、もし過去の恐ろしい事件を忘れていなければ、単純に経済成長だけを求め、心の豊かさを置き去りにする生き方を、私たちはもう選ばないでしょう。
その点で、今の若者には、心を大切にする良識と健全さがあるように私は感じています。もちろん全員が、というわけではないでしょうが、誰かが一人勝ちするのではなく、みんなで協力して成果を出していく行動様式や、差別のない世界を作ろうとする意欲、自然環境保護の意識、そうしたものが、広く共有されているように感じます。
そう感じていればこそ、世界中で私たち人間が営んでいる社会がより良いものであるように、そしてICUでの私たちの営みが自由で美しくあるように、と私は願わずにはいられません。
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今、30年前のことに言及しましたが、その30年という時のスペースを未来のなかに置いてみると何が見えてくるだろうか、とさらに私は問いかけようと思っていました。
全体主義への批判をこめて書かれたジョージ・オーウェルの『1984年』が発表されたのは1949年でした。
人工知能や宇宙開発、そして新しい人間の誕生について描いたキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』が公開されたのは1968年でした。
どちらも、作家は約35年先の未来を想像しています。
かつては未来だったそのふたつの年は、今では過去になってしまいました。
年号としてはそうなのですが、その年号をタイトルに付けて、発表当時の同時代の人たちに向けて、これは現在の話ではなく来るべき未来の話なのだと強調していた内容は、決して古くなったわけではありません。
1984年の世界や2001年の旅(Odyssey)は、年号というラベルを外して、今も、変わることなく未来から2024年の私たちへ問いを投げかけています。「1984年」も「2001年」も常に未来のなかに浮かんでいます。そして普遍的な問いを私たちに訴えかけています。監視社会、言葉の単純化、人工知能...人が人であるとはどういうことなのか、人間はテクノロジーを使って何をするのか、そうしたテーマについて考える時のレフェレンスとなってくれる作品は、色褪せることなく私たちとともに生き続けています。
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今年は2024年、その約35年後といえば、2060年です。『2060年』というタイトルで、皆さんは、どのような社会を想像するでしょうか?
「明日の大学」であるICUは、大きなスパンを持つ明日の展望のなかで、今年もいろいろなことに新しく取り組むことができれば、と私は願っています。じっさい、自然環境と食と農業について学び考え実践するプロジェクト、和解(reconciliation)について考えるプロジェクト、JICUFとのより緊密な関係の構築、難民の学生の支援についての新しい方式の採用など、さまざまなことが計画されています。
リベラルアーツをさらに前進させるこうした試みを、ICUコミュニティーのさまざまな協働と参加を通じて、前例にとらわれることなく実行することができればと思います。