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2024年春季卒業式を挙行

公開日:2024年3月22日

3月22日(金)、大学礼拝堂において2024年春季卒業式を挙行し、学部生479人、大学院生42人あわせて521人が本学を卒業しました。

式では、個を尊重する本学の特徴をあらわす献学時からの伝統に則り、卒業生・修了生一人一人の名前が紹介されたほか、讃美歌斉唱、聖書朗読、式辞などが行われました。

晴れ渡った空の下、穏やかなキャンパスでは、友人や家族との会話を楽しむ姿などが見られました。

 

聖書朗読

マタイによる福音書 第13 章 3-8 節 (宗務委員 スミス, アダム ランダル)

岩切正一郎学長 式辞(全文)

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教養学部アーツ・サイエンス学科を修了し、学士の学位を取得された皆さん、また、大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程、後期課程を修了し、それぞれ、修士、博士の学位を取得された皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご家族、ご親族、ご友人の方々にも心よりお喜び申し上げます。

日本語では卒業式と言い、英語ではcommencement ceremonyと言う、今日のこの「式」、「セレモニー」。「卒」というのは「終わる、終える」ということを意味し、英語のcommencementは、フランス語のcommencement(アルファベットで書くと同じ表記です)から来ている単語で、「始まり」を意味しています。
同じ一つのことを、二つの違った方向から見ているわけです。日本語と英語のバイリンガルなフィルターを通すことでそのような面白さが見えてきます。
日本語と英語を重ねてみれば、この「式」、「セレモニー」は、皆さんが学業を「卒(お)えた」お祝いであると同時に、人生の新たな一歩を踏み出し、新しいステージの上に立つ、その始まりを寿(ことほ)ぐものでもあります。

今日、卒業式を迎えた方のなかの多くの人にとって、ICUでの学びは4年前に始まりました。新型コロナウイルス感染症が拡大していく真っ只中の時期で、入学式は中止となり、キャンパスは閉鎖され、オンライン授業が始まりました。
その時、私は、新入生だった方たちに、ビデオに撮った式辞を通じて、「明日の大学」と自らを呼ぶICUの「明日」とは何か、それを私なりに解釈しながら、次のような思いを皆さんに伝えました。

「私たちにとって、明日とは、カレンダーに記された日付を持つ未来ではありません。それは、今日よりも一段と深いレベルで、人間や社会や自然を理解している状態です。私たちは、その関心や研究対象の如何にかかわらず、一人ひとり、新しい未知なるものへとひらかれ、進んでいくことで、その明日を作っています。」

このように伝えて、そして、「リベラル・アーツの自由は本質的に善であることと結びついている」と述べた上で、一つの願いを皆さんに託しました。

「人の幸福にとって何が大切なのか、人間の実存や世界にとって何が善いことで何が悪いことなのか、その判断基準をしっかり自分のなかに持ち、ある重要な局面で、ひとつの解決を選択する人。問題が生じている現場で事に当たることができる人。ICUは皆さんが学生生活を通じてそのような人へと育っていくことを願っています。」

このときの思いは、4年後の今も変わっていません。皆さんは、ICUでの数年間の学びと研究を通じて、入学する前よりも一段と深いレベルで、人間や社会や自然を理解する能力を身につけたことと思います。そしてこれからもますます、理解を深めてゆくことでしょう。そのために必要な知的で精神的なエネルギーの源を、皆さんはリベラルアーツを通じて自分のなかにしっかり持ったことと思います。

コロナ禍が一段落しようとしていた時に、ウクライナへのロシアによる軍事侵攻が始まり、去年からは、何十年も前から続いている対立が決定的に激化する形で、ハマスとイスラエルとの間での、虐殺と報復と抗争が続いています。それとは違う形で、私たちの社会や現代文明には、取り組まなくてはならない問題がたくさん課題としてひしめき合っています。

こうした状況は私たちをICUの献学の理念の前に立たせます。 それは、それぞれの学生を、平和を構築することに寄与するグローバル・シティズンへ育てること、というものです。国家や民族の間の紛争から、日常生活における個人間のいがみ合いに至るまで、いろいろな争いがあり、それに対応するさまざまな平安があります。
今日、卒業する皆さんが、一人ひとり、自分の人生が社会と交わる場所で、神の御心にかなう平安をつくる人として活躍することを、私は願っています。

それと同時に、皆さんには、建設するようにと誘われているもう一つのことがあります。
世界は、感覚的な印象を通じて、私たちに、生きるに値するものを発見するようにと合図しています。20世紀の作家プルーストの言う、「本当の生活の建設」(la construction d'une vie véritable)。小説のなかで、語り手である「私」は、作曲家ヴァントゥイユの七重奏曲を聴きながら、そのことについて考えます。本当の生活のなかで開示されるもの、プルーストは、それを、語り手を通じて次のように表現しています。「現世のつまらない生活が与えるものとは似ても似つかぬあの予感、来世の喜悦への大胆不敵な接近」(『囚われの女』、鈴木道彦訳)。このような感覚は、生きていくなかで経験する、困難や失意や悲しみや喜びのなかにあって、それを越えたところから誘いかけてきます。自分の魂のなかを通っている道を歩みながら、これからの人生を通じて、みなさん一人ひとりのなかに、本当の生活が建設されることを、私は祈っています。

4年前、キャンパスから人影が消えてしまったときの衝撃は今も忘れられません。あの困難な状況のなか、誰もが心の深いところで不安を覚え孤独を感じていたと思います。けれど皆、互いにいろいろ工夫し、対話を続け、つながり、助け合い、困難な状況を乗り越えてくれました。そんな皆さんに、私は深く感謝しています。キャンパスに人の声が溢れている、そのことがすでに恩寵の徴なのだとも思います。
私自身、4年前は学長になったばかりで、その時から今まで、いろいろと至らないところは多かったのですが、みなさんの若さとエネルギーに助けられました。ありがとう。

どうぞ皆さん、ICUで得た経験と友情を大切に、良き人生を歩み、真実のなかで生きる人であり続けてください。

ご卒業、おめでとうございます。