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2024年春季入学式を挙行
公開日:2024年4月3日

4月2日(火)ほころび始めた桜の花が薫る中、2024年春季入学式を大学礼拝堂で執り行ない、国内外からの新たな学部生・大学院生、本学と交換留学協定を締結している大学からの留学生、合計約692人を迎えました。
式典では、1953年の献学以来、70年以上にわたり引き継がれている伝統に則り、新入生一人ひとりの名前が紹介されたほか、世界人権宣言の原則にたち大学生活を送る旨を記した誓約書に入学生全員が署名を行いました。また、学生宣誓への深い理解とともに大学生活をスタートさせてほしいという願いから、ICU生が英語翻訳を手掛けた『ビジュアル版世界人権宣言』が新入生全員へ配布されました。
そして、岩切正一郎学長が、新たに集った新入生へ激励の言葉を贈りました。
岩切正一郎学長 式辞(全文)
教養学部ならびに大学院博士前期課程・後期課程新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、ご家族、ご親戚、ご友人のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。
皆さんは、これから始まるICUでの授業の中で、多くのアカデミック・エッセーを書くことになると思います。エッセーというのは、フランスの16世紀の人文主義者モンテーニュが始めた文学ジャンルです。「エッセー」という言葉は、もともとは、「試してみること」、「実験」といった意味を持っています。英語では"trial"に当たります。
モンテーニュはその『エセー』のなかで、いろいろなテーマについて、自分の考えを述べるのですが、そのときに見せる自分の姿は、借り物の美しさで装いを凝らしたものではなく、「単純な、自然の、平常の、気取りや技巧のない自分」だと述べています。
そういう自分を人に見せることができる場所というのはとても大事です。大学という場所は、そのような場所のひとつです。もちろん、節度は求められます。何もかも赤裸々にさらけだせば良いというわけではありません。じっさい、モンテーニュも、「世間に対する尊敬にさしさわりがない限り」という条件をつけた上で、自分が書いた本のなかには、「私の欠点や生まれながらの姿がありのままに描かれてあるはずだ」と述べています。
そのような適切な節度を保ちながらも、私はみなさんに、ICUが大切にしてきた自由にして敬虔な、そしてフラットな人間関係のなかで、学生、教員、職員が、一人ひとり人格をもつ個人として、自由闊達に意見を述べ合い、気取りや技巧のない言葉で、共感したり、疑問に思ったり、反論したりしながら、他人から借りてきたのではない、自分自身の物の見方を作っていって欲しいと思います。自分の殻のなかに閉じこもっているだけでは知ることの出来ない、人間と世界の多様で、思いがけない豊かさを、経験して欲しいと思います。
若いうちに、人生のいろいろなエッセーを、試みを、しておくことはとても大切です。作家のプルーストは、小説のなかで、登場人物である画家のエルスチールに次のような言葉を言わせています。
「どんなに聡明な人であっても、その若いころのある時期に、思い出しても不愉快になる消してしまいたいような言葉を口にしたり、あるいはそういう生活を送ったりしたことのない者はいやしません。」(鈴木道彦訳)
そう言われると皆さんも思い当たるところがあるのではないでしょうか。人は、あとから思い返すと自分でも情けなくなるようなことを経験しながら、成長していきます。賢さ、聡明さは、人から教わるものではなく、自分で発見すべきものだ、ともプルーストは言っています。はじめから形のできあがった賢さへ、自分を合わせているだけでは、型にはまった、独創性のない人になってしまいます。
学生生活を通じて、いろいろなことに挑戦し、自分自身を「試して」、自分のなかに顕(あらわ)れてくる新しい自分自身をぜひ発見してください。そして、対話する相手のなかにある、自分とは違う考え方や存在の仕方、感じ方を知ることによって、人生についての理解、人間というものの理解、世界についての理解を深めてください。
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現代社会は、イノベーションとテクノロジーの進歩によって、常に変貌し続けています。皆さんは、その変貌する社会のなかで新しいもの、価値あるものを生み出すために必要となる知識とスキルを、これから習得することになります。
学部生はアーツ・サイエンス学科に、大学院生はアーツ・サイエンス研究科に所属しています。このサイエンス、という言葉は、もともとは知識を意味していました。モンテーニュより50年ほど前に生まれたフランソワ・ラブレー、彼もまたフランス・ルネサンス時代のユマニストですが、彼は、その『パンタグリュエル物語』という作品のなかで、父である国王ガルガンチュワから息子パンタグリュエルへの手紙、という形を取って、有名な次の言葉を記しています。
「良心なき知識は魂の荒廃に外ならない。」
この「知識」にあたるフランス語が«science»です。
皆さんがICUで身につける知識は、この良心とともにある知識です。魂を荒廃させるのではなく、魂を豊かにする知識です。
知識のなかには、古くなると役に立たない、常にアップデートしておかなくてはならない知識があります。これは役にたつ知識です。人工知能が人間からの指示を受けて、イメージや文章を作り、データを分析し、答えを導き出すときに使うのは、このような種類の知識です。そしてもちろん、商品開発やマーケティングやデータを使った研究などにおいて人間にとっても必要な知識です。
いっぽう、時間のなかで熟成していく性質を持つ知識があります。魂を持っている私たち人間には、感覚と結びつき、生きることを通じて独自の意味と味わいを持つようになる知識、人生の糧となる知識も必要になります。それは人工の知性(Articifial Intelligence)に聞いても教えてはもらえない種類の知識で、そしてそれは、個人の色彩、個人の響きをおびています。
リベラルアーツの学びを通じて、人は、ロジカルな、普遍性を持つ思考をする知性を養うと同時に、魂のなかで生き続け、息吹となるような知識、時のなかで味わいを深めていくような知識も獲得するでしょう。
それは自分が生きている環境と結びついた知識でもあります。
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ICUには豊かな自然環境があります。その環境のなかで学ぶことについて考える時、私がいつも参照し、引用する言葉があります。先ほど引用したのと同じプルーストの言葉です。
「かつて本のなかで読んだある名前は、シラブルのなかに、その本を読んでいたときに吹いていた強い風や、そのとき照っていた太陽を含んでいる。」
「本のなかで読んだ名前」、それを、知識や概念に置き換えることもできるでしょう。知識や概念そのものは、それを習得する個人一人ひとりのコンテクストには左右されない、普遍的な内容を備えています。複素数についてズームの画面のなかで学ぼうが、教室の黒板を見ながら学ぼうが、複素数の定義は同じです。けれども、ある概念や新しい知識が、それを獲得した時の風や光によって、自分のなかに、一回性の刻印を帯びて入って来た時、それは個人の思い出のなかで特殊な意味を持ち始めます。
皆さんがICUで過ごす日々のなかに、そのようなかけがえのない瞬間が散りばめられていると良いと思います。
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ICUの設立のきっかけは、今から約80年前に、アメリカ・ヴァージニア州の一人の牧師、マクリーン牧師が、"A Suggestion-As foolish as the teaching of Jesus of Nazareth" (ナザレのイエスの教えと同じほど愚かな提言 )と題する呼びかけの文章の中で、太平洋戦争で日本に壊滅的な被害を与えた国の国民として、キリスト教精神による償いをすべきだとの見解を示したことにあります。それがきっかけとなって、北米での募金運動が始まり、日本の市民による寄付へつながり、その熱い思いに包まれてICUは誕生しました。
最初の声明文によると、マクリーン牧師の教会では、特別な献金のための公的なアピールはできないことになっていたそうです。けれども、それに縛られず、新しい時代のなかで、教会が伝統的な保守主義から脱け出し、全世界がよりキリスト教的になるような影響力を持つ計画を進んで実行するなら、実にスリリングなことでありましょう、と結ばれています。そして、それは、「将来の戦争の種を絶つために」起こす行動であるとも書かれています。
私たちのICUは、普通の常識ではfoolishと思える志と、善意の人々の寄付によって誕生しました。皆さんは、今日から、そのICUの学生です。ICUの設立の大もとにある、平和と和解への思いを、しっかり胸に刻んでいただければ幸いです。
ICUのリベラルアーツを通じて、一人ひとりが、深く人間を理解する人となり、平和の構築に寄与するグローバル・シティズンへ育っていくようにと願っています。