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2021年春季卒業式を挙行

公開日:2021年3月25日

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3月25日(木)、大学礼拝堂において2021年春季卒業式を挙行し、学部生533人、大学院生27人あわせて560人が本学を卒業しました。

式典は、コロナウィルス感染予防として会場内が密になるのを避けるため、午前と午後の2部制とし、卒業生・修了生のみが参列する中で行いました。

式では、個を尊重する本学の特徴をあらわす献学時からの伝統に則り、卒業生・修了生一人一人の名前が紹介されたほか、讃美歌斉唱、聖書朗読、式辞などが行われました。

式後には、コロナ禍で対面での交流が制限される中、今日この卒業式の日に1年ぶりの友人との再会を楽しむ姿などが、満開の桜に彩られたキャンパス内のさまざまな場で見られました。

 

岩切正一郎学長 式辞(全文)

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聖書朗読:ルカによる福音書 第10章38-42節 

 

教養学部アーツ・サイエンス学科を修了し、学士の学位を取得されたみなさん、また、大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程、後期課程を修了し、それぞれ、修士、博士の学位を取得されたみなさん、ご卒業おめでとうございます。ご家族、ご親族、ご友人の方々にも心よりお喜び申し上げます。

今日こうして、簡素な形ではありますけれども、みなさんとお会いして、卒業をお祝いできることに、大きな喜びを覚えます。この1年間、大学での学びのスタイルも、それを取り巻く社会での生活の仕方も、それまでの日常から一変してしまいました。パンデミックという危機的な事態のなかで、個人が、組織が、国家が、どのように振る舞うものなのか、皆さんは、ほとんどの人が二十代前半ですけれども、その若い時期に、それを見つめ、認識するという、ひとつの経験をしました。社会は、いざとなれば、生き延びるために何を制限し始めるのか、自由はどこまで許されるのか、ふだんは見えない排除と包摂の構造はどのようにして顕在化し、どのような姿をとるのか。そしてそのようななかで、私たちはどのようにして精神の自由と連帯を確保していくものなのか。

その経験は、もちろん決して喜ばしい経験ではないでしょう。けれども、論文執筆という大変な時期、そして本当なら直接的なふれあいのなかで過ごすはずだった、ほとんどの人にとっては大学生活最後の一年に、社会の健康とは何かということを身をもって知ったみなさんは、それを破壊しにくるもののことを、若いからこそいっそう敏感に察知する力を獲得したのだと私は思います。その感覚は、これからみなさんの世代が世界に関わり、歴史を作って行くときに、健全な判断をする助けになってくれると思います。
 
一年前の4月からずっとオンライン授業が続き、施設も十分には使うことができず、誰にとっても、決して完全に満足のいく日々ではありませんでした。そのような状況の中で、一人ひとりが工夫し、友人と繋がり、学びや研究を深め、サークル活動を維持し、こうして晴れの日に臨んでいます。みなさんの持っている、問題を見つけて解決しようとする探究心、学問的なそして社会的な関心の高さ、あきらめないという芯の強さ、そしてなかなか出口の見えないなかでも喜びを見つけ、時には笑いで切り抜けようとする心の持ち方は素晴らしく、私自身救われました。心から、おめでとう、そして、ありがとう、と申し上げます。

先生たちも、職員も、ほとんど手探りの状態で、教育を止めない、という決意のもと、最善を尽くしました。あたり前のように享受していたキャンパスでのふれあいが、どれほど大切だったかを痛感し、一方で、新しい教育の可能性に気づいた一年でもありました。

ICUは、その献学に当たって、日本と北米の草の根の市民の善意の寄付によってキャンパスを得ました。戦後の荒廃のなかに、新しい大学、明日の大学という希望の火を灯したのです。

困難のなかでも希望を失わず、新しいことにチャレンジしていく、それは、ICUに脈々と受け継がれている、学びと生き方のスタイルです。みなさん一人ひとりの中に、この一年の記憶を包み込む、大きくて、豊かで、様々な感情に彩られた、入学から今日までの、キャンパスの思い出があります。その思い出と経験が、これからいつまでも、生きる支えになることを私は願っています。そして、卒業するみなさんは今日からは同窓生になるのですが、すでに同窓生となっている方たちが色々な形でみなさんを支えてくれたように、みなさんも後輩のことを思ってくれたら嬉しく思います。 

ICUのリベラルアーツ教育で身につけた、批判的思考、対話、多様性を大切にする生き方、そして、神と人とに奉仕する、共通の善を目指す生き方。それを通じて、これからも、人間の文化や文明と自然とが調和し、一人ひとりが幸せを感じながら支え合って生きている、そのような世界の実現へ向かって、人生を歩んで欲しいと思います。

社会全体が大きな打撃を受けたとき、人々に改めて思い出され、読まれる小説があります。アルベール・カミュの『ペスト』です。

この小説のなかに、私が特に好きな場面があります。私だけではなく、私の知っている人たちのなかにも、そのシーンが好きだと言う人が何人もいます。

春に始まったペストの蔓延によって、アルジェリアのオランという街は封鎖されてしまいました。11月になっても収束の兆しは見えません。医者のリユーという人が、淡々と献身的な診療に当たっています。ある日、彼は、友人のタルーと一緒に、夜の海へ泳ぎに行きます。タルーが、自分たちは友情のために海水浴をするべきだと言ったのです。彼は、人間は皆、比喩的な意味で、ペストのなかにいる、という考えを持っています。つまり、この世に生きていれば人は直接的にであれ間接的にであれ、他人の命を奪う行為に荷担している、と考えているのです。けれども彼はこう言います。「結局、ペストのなかだけで生きるなんてことはあまりにも馬鹿げている。(中略)何も愛さなくなったら、戦うことに何の意味がある?」街を出るには検問があって、一般の人は通行できません。彼らは通行許可証を持っているので車に乗ってゲートを通過し、桟橋へ行くことができました。そして11月の海に入ります。そのシーンは次のように描写されています。

彼らの前で、夜は無限だった。リユーは指の下に岩のでこぼこした相貌を感じ、奇妙な幸福でいっぱいになった。タルーのほうを向くと、友人の静かで生真面目な顔の上に、同じ幸福があるのを見抜いた。(中略)数分の間、彼らは同じリズム、同じ力強さで、[波のなかを]進んでいった。人々から遠く離れて、ついに街とペストから解放されて。(中略)また服を着ると、彼らは一言もいわずにその場を離れた。けれどもふたりは同じ心になっていて、この夜の思い出は甘美だった。

周りのみんながペストと戦っているとき、そんな自由を特権のように享受してもいいのか?という疑問は当然浮かぶでしょう。 カミュは、自然と人間社会をあえて二つに分け、自然と一体になった、存在していることの喜びが、人間を、社会生活の悲惨や、さらには倫理的な意識から解放してくれるのだと言っているように思われます。とはいえそれは、社会的な規範から外れた振る舞いに見えるのも確かです。

卒業式の式辞のなかで、わたしは、この、人間らしくあることと社会の規範に従うこととが、一見相容れない瞬間のことを、これまで人々は語ってきた、ということをみなさんに伝えておきたいと思います。

大学生活のなかでもそうだったでしょうし、これから社会のなかで働き始めると特に、単純には割り切れない場面に遭遇することはいくらでもあります。

困難な状況のなかで窒息しそうになったとき、何か自分を深いところで支えてくれるものに触れなければ自分が壊れてしまいそうなとき、私はみなさんがみなさん自身のなかに持っている根源的なもの、自分に幸福をもたらすものへ、触れにいって欲しいと思います。カミュの小説のなかの海のような。そして私はICUのキャンパスと思い出が、みなさんのなかで、そのようなものの一つとしてあり続けて欲しいと願っています。

最後に、もう一人の作家の言葉を引用して、みなさんへの餞にしたいと思います。マルセル・プルーストがその小説『失われた時を求めて』のなかに記した文章です。

かつて本のなかで読んだある名前は、シラブルのなかに、その本を読んでいたときに吹いていた強い風や、そのとき照っていた太陽を含んでいる。

(プルースト『見出された時 I』、鈴木道彦訳)

みなさんが、人生という本のなかで出会った名前、ICUという名前や、友人や先生の名前、それらが、キャンパスの光と風、あるいは名づけられないけれども生き生きとした感覚と一緒に、みなさんのなかに経験の実質としてあり続けてくれれば嬉しく思います。

ご卒業、おめでとうございます。

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