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2023年夏季卒業式を挙行

公開日:2023年7月14日

7月14日(金)、大学礼拝堂において2023年夏季卒業式を挙行し、学部生131人、大学院生46人あわせて177人が本学を卒業しました。

式典は、個を尊重する本学の特徴をあらわす献学時からの伝統に則り、卒業生・修了生一人一人の名前が紹介されたほか、聖書朗読、岩切学長式辞、グリークラブの合唱などが行われました。

また、2023年4月1日付で名誉教授となった、マラーニー、ショウン K.教授および西尾隆教授に名誉教授の称号が贈呈されました。

聖書朗読:ヘブライ人への手紙 第6章 10-12 節

 

岩切正一郎学長 式辞(全文)

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教養学部アーツ・サイエンス学科を修了し、学士の学位を取得された皆様、また、大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程、後期課程を修了し、それぞれ、修士、博士の学位を取得された皆様、ご卒業おめでとうございます。中継を通じてご参加くださっているご家族、ご親族、ご友人の方々にも心よりお喜び申し上げます。

ICUで学び、研究した時期を、今振り返ると、みなさんの胸には何が去来するでしょうか。コロナ禍のもとでの、思うに任せない状況のなか、頑張っていた日々が蘇ってくるかもしれません。そうしたなかでも、自分が生きている場所で見出した喜びや幸福が浮かんでくるかも知れません。そうして思い返していると、論文を書きながら、'All thinking is done in solitude'(「思考はすべて孤独のうちになされる」)とハンナ・アーレントも言っているように、深く考えるために必要な孤独のなかに身を置いていた自分が見えてくるかも知れません。

そうして経験したICUでの学生生活のなかで、もし私が今、「あなたにとって、一番嬉しかったことは何でしたか?」と尋ねたら、みなさんは何と答えるでしょうか。 私はそのような質問をChatGPTにしてみました。「あなたが今までで一番嬉しかったことを教えてください」
するとChatGPTは答えました。

私はAIであるため、感情を持つことはありません。感情や個人的な経験を持つことはできませんので、嬉しい経験をすることもありません。

この答えを見て、私は、批評家のロラン・バルトが五十年以上前に書いたテクスト理論を思い出しました。彼は、文学テクストにおいて、「言語行為は一個の« 主語 »を持つのであって、一人の« 人 »(仏personne、英person:人、人格、人物)を持つのではない」と述べ、その主語は、「自分のなかに、情念も、気質も、感情も、印象も持っていない」という考えを提唱しました。(「作者の死」、1967年)

文学理論の世界で理論的な概念として生まれた「情念も、気質も、感情も、印象も持たない」主語が、半世紀を経て、生成系AIの「私」として、実際に、現実世界のなかで、テクストを生成している時代に、私たちはやってきました。

テクスト理論において、気質や、感情や、印象や、経験を持たない「私」という主語には人格がない、という性質は、とても重要なポイントだと思います。

私はChatGPTに聞いてみました。「あなたは今何を考えていますか」
ChatGPTは、こう答えました。

私は人工知能であるため、感情や個別の意識は持っていません。そのため、具体的な思考を持つことはできません。私はプログラムに基づいて応答を生成するだけです。どのようにお手伝いできますか?

もちろん、「個別の意識を持っていない」と答えるようにプログラムされているのだと思いますし、意識を持っているふりをする人工知能を作ろうとする人があらわれるかも知れません。今のところ、ChatGPTは意識を持っていないようです。それは、人から聞かれたときに応答するプログラムで、自発的な思考をすることはできません。

教育の現場では、「AIに頼ったのでは考える力が損なわれる」と危惧されています。そこには、ひとつの限定が必要だと思います。AIによって損なわれるのは、「答えを考える」力です。自発的に問いを考える力ではありません。AIには人格がなく、自発的な思考もない。けれども、いったん私たちが質問すると、AIは嘘とも本当とも分からない文章や資料を作ってくれます。

デカルトの有名な言葉、「私は考える、故に私は存在する」の「考える」は、自発的な思考です。デカルトの場合、その「私」は、必ずしも感覚主体ではないのですが、現代の考える主体である私たちには感覚もあります。みなさんがICUで身につけた批判的思考は、人格を持つ相手、思い出や感情や経験を持つ相手との、自発的な思考に基づく対話によって成立します。

人格は、ICUのリベラルアーツ教育において、とても大切な概念です。私たちは、一人ひとり、一個の人格として言葉を発しています。そのような言語行為において、生成系AIに頼り切ってしまうということは、自ら問う力を放棄し、聞かれたことに対して答えるだけの、人格をもたない存在になってしまうことを意味しています。それはとても恐ろしいことですし、そこにほんとうの豊かさはありません。みなさんは、ICUのリベラルアーツの学びを通じて、対話と批判的思考を実践するスキルを備えた、心と知性を身につけました。対話と批判的思考は自発的なものです。また、多様性へひらかれた知性と感性を育みました。その多様性も、人間や自然の自発的なありかたのなかに息づいています。人は人格であるという考えを基盤に持っていれば、今後どのように情報テクノロジーが発達しても、みなさんはそれを良識を持って、しかもより良い世界を創るために、使っていけると思います。

*

みなさんは、これから、人生の新しいステージへ向かいます。シェイクスピアの『お気に召すまま』のなかで、登場人物のひとりはこう言います。

This wide and universal theatre
Presents more woeful pageants than the scene
Wherein we play in.

Shakespeare, As you like it (ACT II. Scene VII)

この広大な世界という劇場には
私たちが演じている一場(ひとば)よりも
はるかに悲惨な芝居がかかっているのだ。

(松岡和子訳(ちくま文庫))

私たちは、この世界という劇場のなかで、一生の間にさまざまな役を演じています。時には、それまで自分が知っていたのとは全く別の舞台に立つこともあるでしょう。

そこで私たちが出会う一人ひとりの相手は、人工の存在でもヴァーチャルな存在でもなく、感情と、思い出と、経験をもつ「人」(person)です。喜びだけではなく、苦しみや悲しみを通じて人格を形成した、対話の相手です。

今日の聖書朗読の一節には、「忍耐」と「希望」という言葉がありました。「ローマの信徒への手紙」には、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」という言葉もあります。「練達」という言葉のもとのギリシャ語は、新約聖書学の焼山先生によると、女性名詞の「ドキメー」"δοκιμη"(dokimē)で、その意味するところは、その人の信仰や本質が試練によって試されることなのだそうです。つまり、「苦難は忍耐を生み、忍耐によってその人の本質や品格が試され、その試練を通じて希望が生まれる」ということになります。自分のなかの本質や品格を知るには、たぶん長い時間がかかります。それを知る旅を、ICUでの学びは支えてくれるでしょう。

今日、卒業の日を迎えたみなさんに、私が望むのはたったひとつです。希望を持つ一個の人格(person)であれ、ということです。自分のなかにある、そして、相手のなかにある、思い出や、感情や、経験を大切にする人。どうぞその深い人間理解のなかで、より良い明日の世界をつくるために力を尽くし、良き人生を歩んでください。

 

名誉教授称号書 授与

マラーニー、ショウン K.教授

マラーニー教授は、ボストン大学で学士号(Summa Cum Laude)を取得、その後ミシガン大学で修士号と博士号(人類学)を取得されました。1995年9月に助教授として国際基督教大学教養学部国際関係学科に着任され、2001年に準教授、2005年に正教授に昇任されました。マラーニー教授は文化人類学、ベトナム研究、植民地医学の歴史、スポーツハンティングの文化における卓越した学者であり研究者です。

マラーニー教授は、献身的な教育者そして研究者として本学に貢献されたのみならず、ICUへの奉仕の面でも大いに尽力されました。行政職としては国際渉外部長、ファカルティ・ディベロップメント主任、社会学・人類学デパートメント長、公共政策・社会研究専攻主任などを挙げることができ、直近の2021年度、2022年度には教授会評議会議長を務められています。すべての役職においてマラーニー教授は職務に熱心に取り組み、本学の行政・運営と教育の向上のために力を尽くされました。

西尾隆教授

西尾隆教授は、日本で最も著名で影響力のある公共政策の専門家の一人です。公共政策のさまざまな問題や課題に関して、影響力のある教科書、100以上の論文、分担執筆した書籍を出版し、森林ガバナンスや、特に地方自治体と市民との関係改善に関する問題についての研究を行い指導してきました

また、1986年に専任講師として国際基督教大学に着任し、1998年には教授に昇任しました。2008年のメジャー制導入時には公共政策学(PPL)を専攻科目として創設する中心的役割を果たしました。

西尾教授は、2002年に国際基督教大学でサービスラーニングを設立した中心人物でもあります。2009年から2013年まで教養学部長として、当時まだ新設されたばかりの専攻・学科制の改革をはじめ、いくつかの改革プロジェクトを立ち上げ、指導にあたりました。