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創立記念大学礼拝を挙行

公開日:2024年6月14日

6月12日(水)、本学礼拝堂にて創立記念大学礼拝が執り行われました。

この創立記念大学礼拝は、1949年6月15日、静岡県御殿場のYMCA東山荘に集まった日本と北米のキリスト教界の指導者たちによって開催された大学組織協議会で、「国際基督教大学」が正式に創立されたことを記念して毎年執り行われています。 この日は、理事会および評議員会が組織され、大学設立の基本方針、教育計画の原則も決定され、本学にとって記念すべき日です。

オルバーグ, ジェレマイア宗務部長代行の司式のもとに始まった礼拝では、『讃美歌 21』第358番「こころみの世にあれど」の合唱、そして「ペテロの第一の手紙 3:8-11」が朗読され、本学岩切正一郎学長が「創立のミッションに基づいたイノベーション」と題したメッセージを述べました。

以下、岩切学長メッセージ全文

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ICUは今年創立75周年を迎えました。今から75年前の1949年6月、御殿場で行われた会議で、大学の名称や設立の目的が正式に決定されました。今日の礼拝はそれを記念するものです。ICUの設立が決まった4年後の1953年に第一期生が入学し、授業が始まりました。

1953年という年を日本の戦後史のコンテクストの中に置いて見ましょう。第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、1945年から1952年までの7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれていました。事実上は、合衆国の占領下にあったわけです。ですから、ICUの設立が1949年に決定され、1953年に授業が開始される、ちょうどそのあいだに、日本の国そのものも、占領下の状態から主権を回復した国家へという、大きな変化のなかにあったのでした。
新しい日本とICUは、ほぼ同じ時に、未来への一歩を踏み出したことになります。

占領下にあった7年間、日本は、各国との外交関係を断たれていました。
今では「国際」や「グローバル」という言葉はありふれた言葉として使われていますが、1952年まで外交が閉ざされていた国で、名前に「国際」という言葉を持つ大学が設立されるということの、その新しさ、言葉がかきたてる、世界との新しい関係への期待、希望、開放感は、今とは比べものにならないほど大きなものだったに違いありません。

当時は、1950年に朝鮮戦争が始まり、合衆国ではマッカーシズムの嵐が吹き荒れていました。
こうした歴史的コンテクストの中で、ICUの設立の意義は、かなり複雑なものであったようです。
本学の名誉教授で、日本の近代史がご専門のウィリアム・スティール先生は、ICU設立時におけるキリスト教主義や民主主義を、共産主義との関係でとらえた考察を行っています。
すなわち、「こうした[国際情勢の]コンテクストのなかで、ICUの設立は、(...)単に、新しい日本にキリスト教的価値観を広めるという約束のためだけではなく、より戦略的に、"共産主義の危険な誘い"に抵抗する手段としての緊急性」を帯びることになった、とスティール先生は論じています。

先生の考察によれば、1948年のJICUFの創設に協力したディッフェンドルファー博士もまた、「キリスト教主義は共産主義への解毒剤(防御手段)として役に立つ、という点で、[連合軍総司令官の]マッカーサーと意見を同じくした」ということだったようです。
確かにそういう側面はあったでしょう。
そのいっぽうで、たんに政治的な理由だけで教育・研究機関である大学を建設しようという運動が起こるわけではありません。そこにはまず最初に、世界へひらかれた自由で民主的な精神とキリスト教的な慈愛と和解の心が息づいている大学を建設しようとする純粋な情熱があり、その建設のプロセスのなかに、同時代が持つ政治的な意味合いが否応なく絡み合ってきた、あるいは襲いかかってきた、ということなのではないでしょうか。スティール先生は、論考の最後のほうで、合衆国側からの政治的・軍事的な期待をある意味では裏切る形で、ICUは独自の民主的な平和構築の路線を取ることになったのだと述べています。

では、ICUの設立の大元にあった純粋な情熱とは何でしょうか。

今年の入学式の式辞でもお話したことですが、ICU設立のきっかけとなったのは、今から約80年前に、アメリカ・ヴァージニア州、リッチモンドの牧師、マクリーン牧師が、"A Suggestion-As foolish as the teaching of Jesus of Nazareth" (ナザレのイエスの教えと同じほど常軌を逸した提言 )と題する呼びかけを行ったことにあります。彼はその文章の中で、太平洋戦争で日本に壊滅的な被害を与えた国の国民として、キリスト教精神による償いをすべきだとの見解を示したのです。それがきっかけとなって、合衆国とカナダでの募金活動が始まり、それが日本の市民による寄付へつながり、その熱い思いに包まれてICUは誕生しました。

マクリーン牧師の呼びかけ文には、これは、「将来の戦争の種を絶つために」起こす行動であるとも書かれています。平和への強い意志がICUの設立の根源にあります。
私たちのICUは、普通の常識ではfoolishと思える志と、善意の人々の寄付によって誕生しました。

1949年6月15日に採択されたUniversity Constitutionに、大学の目的はこう書かれています。

「大学は、平和へ身を捧げ、世界の文化の進歩へ貢献する新しい日本を建設するためのリーダーの養成に力を注ぐだろう。」
そしてその目的のために為すべきことがらを6つ挙げています。
その3番目の項目には、「学生と教員との間の親密で人間的な関係を通じて、大学はキリスト教的性格を発展させ、人格を高め、学びを推進することを目指す。」

4つ目はこうです。
「大学は創造的で科学的な教育哲学を維持する。その目的は、自発的で、独立した、創造的な思考を進化させることにある。」

5番目の項目にはこう書かれています。
「大学は、学びを、現実生活と結びつけることに努める。それは、人格の発展をもたらす、手を使っての労働および社会活動を行うプロジェクトを通じてである。」

ここに言われている「学生と教員との間の親密で人間的な関係」、あるいは「自発的で、独立した、創造的な思考」、これらは、創立の時から今まで、ICUが継続して維持してきた大切な事柄です。私たちは今後もそれを進化させていきたいと思います。

75年前の目的である「新しい日本を建設するためのリーダーの養成」は、時を経て、今では別のパラダイムへ移っています。「より良い次世代の世界をつくるためのリーダーの養成」というのが、それにかわる現在の目的だと思います。

5番目の項目にあった、「手を使っての労働」(manual labor)を、おそらく初期のICUは、農場を持つことで実現しようとしたように思われます。じっさいICUのキャンパスには、アメリカから、牛や豚や羊や鶏や農機具が届けられ、農業が営まれていました。その農場は姿を消しましたが、75周年の今年、JICUFの支援を受けて、Farm Projectが始動し、Farm Managerが設置されました。ここ数十年のスパンでみると、これは新しい取り組みなのですが、実は、もともとの理念に立ち返って実現しているプロジェクトという性格も持っています。ICUハニーの生産やわさびの栽培ともども、じっさいに体を使って、環境問題や食の問題を考えることができるのはすばらしいことです。

今年、2024年は、ICUの設立時から歩みをともにしてきたJICUFが、大学の歴史のなかで初めて、キャンパスにオフィスを開設しました。創立時からの関係がこうしてさらに深まっていくことは、とても喜ばしいことです。それが可能なのは、両者が平和とcommon goodを追い求めるglobal citizenの養成という理念を共有しているからです。

大学は、歴史のコンテクストの中に置かれて、設立の理念を、時代に応じた形で実現することができます。創設の理念に立ち返ることができる、それは大きな恵みです。なぜなら、創設のときのヴィジョンとミッションが揺るぎないからこそ、それを実現するための新しい実験を我々は試みることができるからです。
その実験は、主の御旨にかなうものであるのかどうか、それを常に私たちは自問し続けなくてはなりません。

すべてをみそなわす神様、わたしたちの心のなかを、すみずみまでお読みください。わたしたちが自分では気づいていないことも、全てお読みください。そしてわたしたちをお導きください。すべての善いことが、御身のめぐむ平安のうちに実現するよう、お導きください。Amen.

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