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2025年春季卒業式を挙行
公開日:2025年3月25日

3月25日(火)、大学礼拝堂において2025年春季卒業式を挙行し、学部生522人、大学院生50人あわせて572人が本学を卒業しました。
式典では、個を尊重する本学の特徴をあらわす献学時からの伝統に則り、卒業生・修了生一人一人の名前が紹介されたほか、讃美歌斉唱、聖書朗読、式辞などが行われました。
春の訪れを感じる穏やかなキャンパスでは、学友や家族との会話を楽しむ姿などが見られました。
聖書朗読
マタイによる福音書 第13 章 3-8 節 (宗務委員 佐藤 望)
岩切正一郎学長 式辞(全文)
教養学部アーツ・サイエンス学科を修了し、学士の学位を取得された皆さん、また、大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程、後期課程を修了し、それぞれ、修士、博士の学位を取得された皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご家族、ご親族、ご友人の方々にも心よりお喜び申し上げます。
皆さんの多くは、ICUでの学生生活を、コロナ禍のために活動を制限されるなかで始めました。人と密に接することを控えなくてはならない日々、もどかしさを感じることも多かったと思います。
その後、制限が解除されたあと、自粛という名目のもと事実上は禁じられていた密な人間関係を取り戻すかのように、皆さんが自主的にICUのなかで、あるいは社会と連携しながら、多くの活動を再開させ、新しい活動を生み出し、キャンパスを、ともに学び、対話し、人間をより深く理解し、未来を語る場所にしてくれたことを、とても頼もしく思っています。
ICUには多くの国籍の学生が学んでいます。今日卒業する皆さんは、さまざまなバックグラウンドを持って、日本の各地から、海外の国々や地域から、シリアから、ウクライナから、平和なキャンパスにつどい、自分の夢を実現するための能力を高めるために学びを深めました。これからはその力をより広い世界で、世の中を良くするために発揮することでしょう。
同じような希望を抱いて、世界のさまざまな場所で、皆さんの先輩たちが活躍しています。私は先日ロサンジェルスで、JICUF(Japan ICU Foundation)の主催したICU同窓生の会に出席しましたが、そこには1期生や2期生の方も姿をみせ、さまざまな年代のICUコミュニティーのメンバーが集まっていました。合衆国だけではなく、世界中にICUの卒業生がいます。皆さんもぜひそのネットワークに参加して、これからもICUのつながりを深めていただければと思います。
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先ほど私たちが聞いた聖書朗読のなかに、「別の種は、良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」という主の言葉がありました。
皆さんは少なくともこの一年、指導教授が主催するゼミに参加して、研究指導を受けたことと思います。このゼミ、セミナーは、語源をたどると、seminariumというラテン語へ至りますが、それは種を撒く苗床を意味していました。そこから、若者を聖職者へ育てる養成所という意味も生まれました。「卒論ゼミ」というのは、あるいはゼミ形式の少人数教育は、学生を学士や修士や博士に育てる苗床のような場所です。
「良い地に落ちて、何倍もの実を結ぶ」。皆さんのICUでの学びもそのようであったことと思います。ICUのリベラルアーツは、とても良い「土壌」です。皆さん一人一人がそこへやってきて、根をおろし、知識を吸収しながら時間のなかで成長し、人生の糧となる実りーそれは精神的な目に見えない資産であるかも知れませんーその実りを結ぶ人へと自らを形作り、今日という日を迎えています。
土には、実際、植物の成長にとって良い土とそうではない土があります。どのような土を良い土というのでしょうか。私が読んだ土に関する入門書によれば、それは砂と粘土と腐植(humus)からなる団粒構造(the aggregate structure)を持っている土です。土の粒子が小さな粒々の集合体を形成していて、粒のあいだには適当な隙間があるために空気や水の通りが良く、柔かな土になっています。これとは反対なのが単粒構造(the single grain structure)の土で、水はけが悪いかあるいは良すぎるかして、植物の成長には適していません。
この団粒構造を持つ土との類似で考えると、さまざまな専門分野が集まってできているICUのリベラルアーツの学びは、an aggregate structureを持っているシステムのように見えないでしょうか。ただひとつのことだけを学ぶのではなく、複数の分野のエレメントを組み合わせながら独自の知の集合体を作ること、それを皆さんは実践してきました。新しい組み合わせによって今までになかったものを作る、新しい自分をつくる、それはイノベーションそのものです。社会や技術の領域においてだけではなく、自分自身にたいしてもイノベーティブであるのは、とても楽しい存在の仕方です。リベラルアーツは、その楽しさをこの先もずっと持続できる心のあり方を身に着けるための学びです。その学びを振り返るとき、そこには、対話や議論をうながし、考えの素直な表明を可能にする、水はけの良さと風通しの良さがあったと感じるのではないでしょうか。
団粒構造を持っている土の粒子は、動植物の分泌物や微生物、カビ、菌糸といったものが接着剤の役割を果たして互いにくっついています。あいかわらずアナロジーによって話を続けると、私たちのなかにあるさまざまな専門分野の知識や、一つひとつの経験をくっつけてゆく接着剤にあたるものとは何でしょうか。知的なあるいは精神的な領域において、それはとても感覚的なもの、たとえば日々のキャンパスの生活のなかに満ちている話し声、ふるまい、人との付き合い方、感情をともなった他人の理解の仕方、といった、いわば資本として内在化した文化なのだと私は思います。
自然の風や光や雨といっしょに自分を包んでいた声や身振り、リベラルアーツの学びを通じて共有した学術的で倫理的な姿勢や人間へ向けられる信頼の眼差しが、皆さんのなかに記憶され、人生を支える目には見えない「良い土地」となって、これからも豊かな実りをもたらすよう願っています。
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自分たちの周りを見、そして世界を見渡せば、同じ種(たね)であっても、道端に落ちて鳥に食べられたり、土地が痩せていて根を張ることができずに枯れてしまったり、イバラのなかに落ちて成長を妨げられたりする光景をいたるところで目にします。個人ではどうにもならない格差のなかで、貧困や抑圧や暴力に苦しめられている人々が大勢います。
そして世界は、その苦しみを軽くするために競争と共生のバランスを取りながら繁栄していく道ではなく、むしろその苦しみをますます大きくする、国家のエゴイズムを前面に押し出した、力による支配を強めようとしているかのように見えます。
私たちは、今はまだ自由な社会のなかにいます。とはいえ、美しいものを何一つ生み出さない侵略や虐殺や破壊や政治的な傲慢さを目の当たりにして、私たちは意識せざるを得なくなりました。これまでは多かれ少なかれ普遍的な価値として共有されているように思われていた自由、多様性、公正、包摂性、といった概念は、じつは、近代社会の科学技術の進歩と結びついて共有されていた倫理的価値であるにすぎず、ひとたび大きなパラダイム転換が起これば、我々の社会から簡単に一掃されてしまう危うさと隣り合わせのものなのだと。
このような状況のなかで、私たちは、リベラルアーツの学びが何を意味しているのかを知っています。私たちは、支配と占領ではなく、共生と共存を選び取る、ということ。たとえ現実が苦しいものであっても、その現実のなかに夢が組み込まれている実存形式を私たちは常に求めるということ。夢までも破壊するような世界、人間を無駄な戦いへ引きずり込む世界、息苦しい世界を拒否するということ。
今日、卒業式を迎えた皆さん、皆さん一人ひとりが、ICUのミッションである平和を作る人となるように、そしてみずからの人生を実り豊かなものとしつつ、愛と幸せを社会のなかにもたらす人となるように祈ります。
卒業という新しい出発、おめでとうございます。