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創立記念大学礼拝を挙行

公開日:2025年6月11日

6月10日(火)、本学礼拝堂にて創立記念大学礼拝が執り行われました。

この創立記念大学礼拝は、1949年6月15日、静岡県御殿場のYMCA東山荘に集まった日本と北米のキリスト教界の指導者たちによって開催された大学組織協議会で、「国際基督教大学」が正式に創立されたことを記念して毎年執り行われています。 この日は、理事会および評議員会が組織され、大学設立の基本方針、教育計画の原則も決定され、本学にとって記念すべき日です。

礼拝は、オルバーグ, ジェレマイア宗務部長代行の司式のもとに始まり、『讃美歌』第448番「みめぐみを身にうくれば」を歌い、そして「マタイによる福音書 7:24-27」が朗読され、本学岩切正一郎学長が「全てが見通せたら希望はいらない」と題したメッセージを述べました。

以下、岩切学長メッセージ全文

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ICUは今年創立76周年を迎えました。
ICUの第一期生は1953年4月に入学したので、開学からは72年なのですが、今日の記念礼拝は、開学の4年前、1949年6月15日に、御殿場東山荘で行われた会議において大学の名称や設立の目的が正式に決定された、そのことを記念するものです。
設立の目的は、皆さんもよくご存じの通り、「基督教の精神に基づき、自由にして敬虔なる学風を樹立し、国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資すること」であり、その実現のための三つの取り組みとして「国際性」 、「キリスト教精神」、「学問」を国際・基督教・大学という名称を通じて明示しています。

日本は、第二次世界大戦終結の1945年から1952年までの7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれていました。ICUの創立から開学までの時期は、日本が占領下の状態から主権を回復した国家へ姿を変えた時期と重なっています。戦後の新しい日本とICUは、ほぼ同時期に、未来への一歩を踏み出しました。

グローバル化の進む現在、「国際」と名の付く日本の大学は珍しくありません。そのなかにあって、ICUはその名称に日本ではじめて「国際」という語を冠した大学です。1949年の創立時には外交が閉ざされていた国で、「国際」性の重要性を名前のもとに明示した創立者の気概を私たちは大切にし、常にそれを生き生きと保っておきたいと思います。「信仰、希望、愛」という三つの徳、とりわけ愛にもとづくキリスト教主義を土台として、国際的な視野で物事を捉え、対話を通じて平和の構築のために行動するマインドセットを自分のなかに根付かせ、世界と人間のあらたな理解を可能にする知の共有と創造を目指す、そのような場でありたいという願い、そうあり続けるという決意を、創立を記念するこの礼拝の場で、再確認しておきたいと思います。

トロイヤー記念アーツ・サイエンス館(Troyer Memorial Arts and Sciences Hall)、通称T館の1階に、カフェ「イリオン」があります。イリオンというのはホメロスの『イリアス』の舞台となったトロイアの別名です。初代学務副学長だったトロイヤー博士の名前がトロイアを連想させるというので、トロイアにちなんだ名前がついています。
トロイア王プリアモスの娘の一人に、アポロン神殿の神官を務めたカッサンドラという王女がいます。カッサンドラのことは皆さんもよくご存じだと思います。アポロン神から予言の能力を与えられたものの、アポロンの愛を撥ねつけたために、予言を誰からも信じてもらえないという罰を受けた人です。 このカッサンドラを語り手にして、旧・東ドイツの作家クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf, 1929-2011)が『カッサンドラ』という小説を書いています。1983年の出版なので、ドイツがまだ自由主義の西ドイツと社会主義の東ドイツとに分断されていた時代の作品です。
物語の中の状況を少し説明しておきましょう。トロイアを滅亡させたギリシャの総大将アガメムノンは、約10年かかった戦争に勝利して故郷アルゴスに凱旋帰国し、戦利品としてカッサンドラも連れてきました。カッサンドラには、この後(あと)どんな運命がアガメムノンと自分を待ち受けているのか、はっきりと見えています。彼女は今、王と自分の破滅を意識しながら、車(a carriage)のなかで、城へ入るまでの時間を過ごしています。
その状況のなかで、ヴォルフはカッサンドラに次のような回想を語らせています。

[トロイア戦争時、破滅へ向かっているのに、国王プリアモスは]「ふたたび黄金時代が始まると国民に告げていた。そんな願望を持つようにわたしたちみんなに命じたものはいったい何だったの? どうして、あんな、誤解にもとづく願望が、わたしたちのあいだで優勢になっていったのだろう?」
(クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』(中込啓子訳), 河出書房新社, 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-2、2009年, p. 383.)

小説の出版から6年後にベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは統一されました。ヴォルフ自身は、自由のない東ドイツを拒絶していましたが、壁が崩壊した後は、東ドイツは独立を維持して新しい国家として存在すべきで、統一には反対だ、という立場だったようです。歴史は彼女の思い通りには展開しませんでした。しかし、カッサンドラに語らせた小説の中の台詞は、出版から50年の歳月を越えて、私たちに現実味のある響きをともなって届いています。
「アメリカを再び偉大に」というスローガンと共に「まさに今、黄金時代が始まる」、と国民に告げる大統領がいて、その願望を国民の多数も共有している、合衆国は今そのような状態にあります。約十年前、日本では「日本(にっぽん)を取り戻す」というスローガンを掲げた政党が衆議院選挙で勝利しました。その20年前のバブル崩壊期から日本はかつての輝きを失っていたのですが、そのスローガンのもとで10年が過ぎると、いつしか人々は、失われた30年という表現を使い始めました。

未来のなかに、自分たちの過去の栄光を投影するとき、その栄光は過去の再現という形で取り戻せるものなのでしょうか? もし仮に輝かしい時があり、その輝きに似たものを取り戻せるとしても、そのときに姿をあらわす栄光は、昔とは違う新しい社会のあり方や産業構造のなかにおいてであろう、しかも自由で対話的で多様性のある環境のもとにであろう、と、政治学や経済学に門外漢の私は考えるのですが、今の世界を見ていると、私たちの未来は、それぞれの国が協力し合い、共生して、地球の上に平和を出現させるというヴィジョンを持ったリーダーというよりは、自国の利益のためには他の国々の不利益や尊厳などは意に介さない、自由と多様性と対話の代わりに壁と排除と圧力を重視するというリーダーによって作られつつあるように見えます。

十九世紀の『ベシュレル』(Bescherelle)というフランス語の辞書には、イノヴェーションという言葉の用例として「他のものと同様に危険な革新がある。時代遅れのものの刷新がそれである」という文章が挙げられています。「時代遅れのものの刷新」、ひと時代まえの、今の時代には通用しないはずのものを、新しいもののように標榜して、社会や産業を改革しようとする。それは、進歩という観点からすると、むしろ後退のように見えます。
というのも、「再び」や「取り戻す」という言葉がみせてくれる展望には、偶然性や自発性への余地、言い換えれば、自由な発想のもと、過去にはなかった新しいものを生み出そうという遊び心が欠けているからです。

創立記念礼拝にあたって、私たちは、設立の理念を想起しました。それは過去へ戻ることを意味しているのでしょうか? ICUの面白いところは、創立の隅石へ立ち戻ってみると、そこには、「明日の大学」という理念が置かれ、過去の通念にとらわれない、未来へひらかれた大学であるように、そして、より良い未来を建設するのに寄与する大学であるようにという理念が刻み込まれている、という点にあります。

予言者カッサンドラには未来のすべてが見えていました。全てが見える人間には、当然、希望というものはありません。希望は、先の見えない未来の前で、良いことの到来を願い、しかもその到来は確実ではないということを知ってもいる、そのような存在である私たち人間に与えられた神様からの贈り物だからです。

私たちは、信仰と希望と愛をもって、自由かつ敬虔な学風のもと、国際的社会人としての教養を身につけ、神と人とに奉仕する者として、平和の確立に寄与する、このミッションを胸にこれからも進んで行きたいと思います。理念は不変であっても、それが具体的な形で企画されるときには、時代ごとの条件に適した形をとります。自然環境が脅かされ、人々の間で格差が広がり、紛争の絶えない現代社会において、私たちは、人間と自然の営みが調和し、人と人が互いの人格を尊重し、人間同士が相手から搾取したり、傷つけ合ったり、殺し合ったりしない、一人ひとりが幸福を感じられる共生できる未来のヴィジョンを思い描き、より良い未来を創り出すために、教育と研究を遂行し、キャンパスの環境と生活を充実させていきたいと思います。
毎日が新たな始まりであり、新しい発見である。過去から継承しているものは、木々のように葉を繁らせ、木もれ日を作る。創設の理念が日々新たに生きている。
そのような大学としてICUがあり続けることを願っています。

祈りましょう。
主なる神様、地上に生きる我々を憐れんでください。慈しみ深い主よ、この世にあまねく平和がありますように。これまで私たちをお導きくださったように、これからも正しい道の上を歩むようお導きください。国際基督教大学が御心にかなう大学でありますように。私たちの大学を御旨が行われるように用いてください。父と子と聖霊との御名によって。アーメン。