メールマガジン Message from ICU, No.10 「バイリンガル教育を支える語学プログラム」
公開日:2022年09月29日人が人とのclose contactを避けなくてはならない。この異常な状況のなかでも、皆様とコンタクトを取り続けていきたい。そのような思いから、全国の中等教育に携わる先生方向けのメールマガジンを発行しています。なお、配信を希望される方は、以下よりお申込みください。
Message from ICU , No.10(2022年9月28日発行)
ICUは開学以来70年にわたって、日本語と英語によるバイリンガル教育を実践しており、授業のみならず、クラブ活動、寮など、キャンパス全体でバイリンガリズムの原則が浸透している。バイリンガリズムは、人種・国籍・宗教にかかわらず、世界の国々から学生を受け入れるという大学の理念を実現するICUの大きな特徴であり、この理念を支えるのが「リベラルアーツ英語プログラム(ELA)」(以下、ELA)と「日本語教育プログラム(JLP)」(以下、JLP)の2つの語学プログラムである。
主に日本語を母語とする学生はELAで英語を学び、日本語を母語としない、あるいは家庭でのみ日本語を使う学生はJLPで日本語を学ぶ。加えて、ELAとJLPは、言語習得という枠を超え、リベラルアーツでの学びへの導入としての大きな役割も果たしている。全ての学生が自然に混ざり、言語のハードルを超えてアカデミックにリベラルアーツで学べる環境を創出するICUの根幹をなすプログラムと言える。
ICUの英語教育
リベラルアーツ英語プログラム主任 深尾 暁子
英語で学ぶリベラルアーツの『学びの作法』
アカデミックな(コミュニケーションの手段としての)英語運用能力を鍛えることに加え、ELAが担うもう一つの重要な役割に、リベラルアーツへの導入教育があります。つまり、ELAの履修学生は、リベラルアーツ大学での学び方を学ぶための訓練を受けるということです。そこには、Critical Thinking(批判的思考)という概念があり、入学したての1年生は、まず「あらゆることを問い直す」姿勢を学びます。例えば、スピーキングの授業でディスカッションの仕方を練習する際には、たとえ自分と同じ意見であっても、Why do you think so?と相手の意見の根拠を明らかにする大切さを同時に学びます。リーディングの授業では、書いてあることをただ正確に理解するだけではなく、著者の意見はどのような前提に基づいているのか、意図的に書かれていないメッセージは何かなどを掘り下げる分析の方法を学びます。多くの時間を割くライティングの訓練では、自分の意見を想定した読者に向けて明確に表現するために、教員と一対一で「論の運び方」について話し合いを重ねます。
このように、英語技能とCritical Thinkingが融合した訓練を「教育の価値」「人種に関する諸問題」「倫理」「認知・文化・コミュニケーション」といった学際的なトピックについて考えながら行うことで、学問にはどのような認識・分析・思考の方法があるのかも体験的に学んでいきます。ELAで出会ったトピックがきっかけで、それまで全く関心を持つ機会がなかった事柄に興味を持ち、メジャーを決めたという学生が毎年います。リベラルアーツへの導入教育としてELAが機能していることを良く表しているエピソードだと思います。
なぜあえて英語で導入教育を行うのか
そのようなリベラルアーツへの導入教育が、高校までの英語教育を受けただけの大半の学生にとって、非常に大きなチャレンジであることは想像に難くないでしょう。母語である日本語で行う方が、効率良く教育効果を上げることができるという考え方もあると思います。ですが、実はこの「不自由な」英語がこの導入教育の鍵になっているのです。
慣れ親しんだ言語を使ってコミュニケーションしている時には、そこでやり取りされる情報の意味を簡単に理解したつもりになりがちです。ある1文を読んでその意味について熟考することもあまりしないでしょう。ですが、英語で書かれている文章を読むと、「本当にこの理解で合っているかな?」と立ち止まらざるを得なくなる。この立ち止まる時間が、Critical Thinkingに必要な「鵜呑みにしない」「論拠を吟味する」ための時間となるのです。
ELAでの学習を始めたばかりの学生は、「不自由な英語だから読むのに時間がかかる」「英語の語彙力が足りないから思うように話せない」「英語文法力が弱いので何度も書き直しをしなくてはいけない」というように、アカデミックなコミュニケーションの難しさの原因を英語力の不足と考えがちです。ですが、毎日参加するELAの授業内で、不自由な英語でコミュニケーションすることに慣れ始めると、英語で自分の意見をどう表現するかを考えることが、「自分は本当にそう信じているのか・なぜそう信じるのか」といった内省や、「相手を理解に導くためには、どのような情報の提供が必要なのか」という主体的なコミュニケーションの工夫につながると気づくことが出来るようになるのです。
リベラルアーツ学びの入り口にある英語教育
「英語漬け」となるELAでの学びを終えた学生で、英語でのアカデミックなコミュニケーションが問題なくできると答える学生は多くないかもしれません。ですが、英語で書かれた文献を読むこと、その内容について掘り下げる議論をすること、参考文献を探す方法や論理的に文章を構成する方法を知らない・体験したことがないと答える学生はいないでしょう。ELAの学生は、日々の授業を通して、他人の意見に注意深く耳を傾け、物事を多角的に見ることの重要性を十分に意識しつつ、自分の独立した考えを組み立て、それを他者に効果的に伝える技術を自然と身につけていくのです。
こうした学問の作法が、第1言語で授業に参加する時にも活用できることは明らかです。専門的な学問領域で学びを深めていく学生が「ELAでやったことのある課題の高度なバージョンの課題」(その最たるものが卒業論文の作成です)に取り組みながら、さらにアカデミックなコミュニケーションの技術を磨いていくために、ELAが全学共通科目としてICUのリベラルアーツ教育の入り口に置かれているのです。
ICUの日本語教育
日本語教育プログラム主任 小澤 伊久美
多様な学生のニーズに応える日本語教育
ICUの日本語教育プログラム(Japanese Language Programs: JLP、以下JLP)は、1953年の開学当初に留学生10名を対象として始まりました。これは日本の大学としては初めて単位を付与する形の日本語教育のコースでした。また、1964年には、家庭では日本語を用いていても学校教育は日本語以外で受けてきた学生を対象としたプログラムも開講しています。このような学生を対象にした日本語教育コースが複数用意されていることは本学の日本語教育の特色となっています。
このようにICUでは、日本語を初めて学ぶ学生から、家庭では日本語を用いていた学生までの幅広い日本語力の学生それぞれのニーズに応じたコースが提供されています。入学時のプレースメントテストの結果に基づき、一人一人に合った適切な日本語教育コースで学ぶことができる、それがICUの日本語教育の特長の一つです。
ICUの日本語教育が目指すこと
JLPはICUの理念を踏まえ、多様な文化や価値観の中で相対的な視点を持ち、社会に貢献できる人の育成を目指した日本語教育を行っています。そのため、日々の学びを通して、大学生活で必要な日本語力はもちろんのこと、客観的、相対的、多角的な視点を持って思考し学術的活動ができる力、問題解決能力、情報収集能力、主体的に学び続ける力を培うことを目指しています
今春出版した『タスクベースで学ぶ日本語』(発行:スリーエーネットワーク)という中級教科書シリーズ(CEFRのB1レベル前半からB2レベル後半)でも、あるテーマについて様々なタスクに取り組む中で知識を得ること、そして内省や、クラスメートとの協働作業及び対話を通して「日本語の力(言語知識や言語スキル)」と「内容を理解して思考する力」を身につけることを狙いとしています。各課のテーマには、大学生が関心を持ちそうなものを選定し、課を追うごとに身近な話題から社会的でアカデミックなものへと徐々に発展していきます。テーマに関して、大学生として出会うであろうタスクが多数用意されており、それを遂行する形で学習が進みます。その際、学生たちは常に相対的な視点を持って他者と対話すること、協働作業を行うこと、自らを振り返ることが促されるのです。
学生は各自の日本語力のレベルに応じたコースを履修しますが、学部生か大学院生か、あるいは交換留学生かでコースは分かれてはおらず、みな同じ授業にクラスメートとして参加しています。本学での身分や年齢だけでなく、出身地域・居住経験のある地域も40 数カ国に及ぶ多様な学生たちが毎年300名ほど集まり、20名以下の少人数のクラスに別れて学んでいる形になります。授業では、多様な文化的背景を持つクラスメートと共に学ぶ中で、自分の価値観を見つめ直し、他者の価値観との共通点や相違に気づく機会を得ます。そして、互いをよりよく理解し合うコミュニケーションの在り方を模索し、獲得していくのです。
ICUにJLPがある意味
学生たちがJLPで学んで良かったこととして、日本語力の向上はもちろんですが、前述のような他者との出逢い、出逢った仲間との対話によって自他に関しての気づきを豊かに得たことが多く指摘されます。日本語を学び始めたばかりの初級のコースでもそうですし、中上級のコース、あるいは家庭で流暢な日本語を用いる学生のコースでも同様です。残念ながらコロナ禍ではオンラインでの授業となってしまい、物理的に対面で出逢うことが難しかったのですが、オンラインでも、このような出逢いや学びを実感できたという声が多く寄せられました。
JLPで少人数で実践した他者とのコミュニケ--ションのとり方、あるいは協働作業でのリーダーシップやフォロアーシップのとり方を、JLP以外の授業やサークル活動、寮生活でも生かすことができた、もっと生かしていきたいと思ったというコメントもよく耳にします。JLPでの学びを通して、単に日本語が流暢になるだけでなく、大学生活の基盤、あるいはコミュニティの構成員として他者と関わる上での基盤が培われていることが感じられるコメントで、とてもうれしく思っています。
このような学生の成長を喜ばしく思うのは、JLPは初年次教育の役割も果たしているから、ということもありますが、それだけが理由ではありません。言葉を学ぶということは、自分自身の思考を深めることに直結すること、自己を表現し、他者を理解して相互のより良いコミュニケーションを成立させることにつながることだからです。つまり、言語を学ぶことは、個人にとっても社会にとっても豊かな環境を構築する力になるからなのです。
JLPのクラスにはビジターセッションなどでJLP履修生以外の方(ELAが卒業要件の学生や教職員など)にも参加していただく機会があります。そうした場が、JLPの学生にとっても、また接してくださる参加者のみなさまにとっても、良い出逢いの機会となり、互いから学び合う機会になっていると感じています。その出逢いがJLPの授業を超えて、本学のキャンパスで、また卒業後の社会における関係性の構築にもつながっていくことを願ってやみません。
参考:
リベラルアーツ英語プログラム(ELA)
日本語教育プログラム(JLP)
<プロフィール>
リベラルアーツ英語プログラム(主任)深尾 暁子
サンフランシスコ州立大学修士課程修了、MA in TESOL (Teaching English as a Second / Foreign Language)。専門分野はEAP (English for Academic Purposes)、カリキュラム開発。共著書に『ICUの英語教育 リベラル・アーツの理念のもとに』(研究社)、『大学の英語教育を変える コミュニケーション力向上への実践指針』(玉川大学出版部)など。
日本語教育プログラム(主任)小澤 伊久美
国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了、修士(比較文化) 。専門分野は、日本語教育、文化心理学、プログラム評価。共著書に『日本語教育のための質的研究 入門--学習・教師・教室をいかに描くか』(ココ出版)、『PAC分析実践集3:支援ツールでここまでできる』(ナカニシヤ)など。