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2026年春季卒業式を挙行
公開日:2026年3月24日

3月24日(火)、大学礼拝堂において2026年春季卒業式を挙行し、学部生543人、大学院生53人あわせて596人が本学を卒業しました。
式典では、個を尊重する本学の特徴をあらわす献学時からの伝統に則り、卒業生・修了生一人一人の名前が紹介されたほか、讃美歌斉唱、聖書朗読、式辞などが行われました。
春の訪れを感じる穏やかなキャンパスでは、学友や家族との会話を楽しむ姿などが見られました。

聖書朗読
コリント人への第一の手紙 第13章 1-3節 (宗務委員長 小瀬 博之)
岩切正一郎学長 式辞(全文)
教養学部アーツ・サイエンス学科を修了し、学士の学位を取得された皆さん、また、大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程、後期課程を修了し、それぞれ、修士、博士の学位を取得された皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご家族、ご親族、ご友人の方々にも心よりお慶び申し上げます。
皆さんは、今日、ICUを卒業し、それぞれ、新しい道への一歩を踏み出します。その一歩がどこへ向かっているのか、不安と希望がないまぜになっていることでしょう。自分が生きてゆく人生のなかに何があるのか、それをあらかじめ知ることはできません。生きてみなければ分からないことが人生にはたくさんあります。嬉しいことや楽しいことばかりではなく、苦しいことや悲しいこともあります。辛いこともいつか思い出に変わるよ、といった気休めは、無責任すぎて私には言えません。私に言えるのは、自分の人生を歩みながら、みなさん一人ひとりが、その歩みと自分の経験の意味について、考え続ける人であって欲しいということです。生まれてから死ぬまでの、自分に与えられている時間のなかで、何が起こり、そこにはどういう意味があったのか、考えて、それを語り、自分なりの表現を与えること。そしてそれを出発点に、自分の個人的な人生を可能にしたより大きな社会的コンテクストのなかでは、いったい何が起こり、それは何を意味しているのかを、意識し、考え、自分の言葉で語ること。そのための基礎となる能力を、皆さんはリベラルアーツ教育のなかで育んだことと思います。
考える力、そして、考えに形を与える力を育むと同時に、じつは皆さんはもう一つの能力も身につけたであろうと私は思っています。
何かを表現する技術が自分のなかで確かなものとなるにつれ、その力ではとらえきれないもの、語ることができそうにもないことが次第に姿をあらわしてきます。言葉を発している自分のなかに、あるいは饒舌に語り合う世界のなかに、言葉をよせつけない部分があると意識されるようになり、その沈黙に向かい合うことが私たちにはあります。その沈黙は、何か言葉ならぬ言葉のようなものによって、言い表しようのないものを表現しようとしているように感じられてきます。出来合いの言葉では表現されたくない、とでもいうかのような沈黙は、とても壊れやすいものを包み、守っていることがよくあります。
そのような沈黙が包んでいるものを、通常とは違うやり方で表現し、感覚できるものにすることも、人間がなすべき営みの一つです。状況を分析し語る能力と、沈黙のなかにあるものを感じ取り、伝達可能なものとしてそれを表出させる能力の基礎を、みなさんは大学生活を通じて身につけたと思います。卒業後の人生でもその能力を一層深めて欲しいと思います。
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さきほどの聖書朗読のなかで、愛の大切さが語られていました。皆さんが大学での学びと研究を通じて身につけた知識は、愛とともに使われなくては、虚しい、騒がしいものになってしまいます。私自身、つねにそれが実行できているかといえば、怪しいところもあるのですが、自戒の意味もこめて、私の願いを述べたいと思います。言葉や思いや行動のなかに愛がある生き方をしましょう。
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去年の卒業式のスピーチで、私は次のように言いました。
世界は、苦しみを軽くするために競争と共生のバランスを取りながら繁栄していく道ではなく、むしろその苦しみをますます大きくする、国家のエゴイズムを前面に押し出した、力による支配を強めようとしているかのように見えます。
一年後の今、国際協調を軸にした粘り強い対話と交渉はますます影を潜め、武力で優位に立つ者がむきだしの欲望を振りかざし、敵とみなした相手国の人々の生活を破壊し続けています。
戦争が破壊する人間の幸せ。それは別の種類の大切なものと地続きです。人間の欲望を満たすための行き過ぎた開発が破壊する自然環境。富の偏在や社会的格差や搾取によってないがしろにされる人間的な尊厳。
私たちの大学はそのような破壊や社会的不公正に抗う人を育てるために創設されました。
先日、私は西洋の古楽器と日本の雅楽器で編成されたアンサンブルによる現代曲(夏田昌和作曲)の演奏会を聴きに行きました。そのアンサンブルの運営はICUの同窓生がやっています。
曲のコンセプトは、どんな日もかけがえのない貴重な一日である、というもので、曲のあいだにいくつかの詩が朗読されるのですが、私の聴いた回では、そのひとつに長田弘の「なくてはならないもの」という詩が選ばれれていました。そこには次のような一節があります。この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
私たちが「日々の穏やかさ」を愛していれば、誰も、戦争を求めるものに付いて行こうとは思いません。穏やかな日々のなかには、悦びがあって、それは誰のものでもない、ありふれたものだ、と詩人は言っています。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。戦争は、相手から何かを、大抵は領土や資源を、奪い取り、所有しようとする欲望によって引き起こされます。「誰のものでもないもの」、「ありふれたもの」と共にいることに、そのシンプルなあり方に悦びを感じることのできる感性を失ってしまうとき、私たちは戦争に荷担し始めるのかもしれません。
草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹形。
夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
一日をかけがえのないものと思うには平和が必要なのです。そのかけがえのなさは、数値で表すことはできません。
草。水。土。雨。日の光。猫。私たちは、ICUのキャンパスでそれを毎日見ています。夕方、バス停からみあげる木々や空には百羽以上のカラスがいて、なんとなく不気味で、悦びをつくっているのかどうかはよくわかりませんが、それも含めて、キャンパスの自然は、きっと皆さんのなかに、「ありふれたもの」の大切さを語りかけていると思います。そして同時に、それが「ありふれたもの」であり続けるためには、意識的に維持されなくてはならないということも、皆さんはよく知っています。
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日々の悦びは、自然の風物だけではなく、新しいことを知る喜び、人と思いを伝え合う喜び、人と一緒にひとつのことを成し遂げていく喜びからもできています。
これからの皆さんの人生が、神様の祝福と日々の悦びに満たされた、幸多きものであるよう祈ります。
ICUでの経験を心の糧にして、大きく羽ばたいてください。
卒業という新しい出発、おめでとうございます。