なぜ、松浦武四郎の書斎「一畳敷」を大切に保存しているのか?

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なぜ、松浦武四郎の書斎「一畳敷」を大切に保存しているのか?

泰山荘の建造物のうち、母屋(現存せず)と待合、高風居は、江戸時代や明治時代の古い建物を移築したものです。中でも高風居は由緒ある建築で、紀州徳川家当主の徳川頼倫によって1925(大正14)年に建てられました。六畳の茶室と水屋をそなえたこの建物に差し掛ける形で一室をなしているのが、松浦武四郎ゆかりの「一畳敷」です。

幕末から明治にかけて全国を旅し、「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎が、古希を迎えるにあたって人生最後の時を過ごす空間として設計したのが、この小さな書斎でした。武四郎は旅先で知り合った友人・知人に手紙を書き送り、数年をかけて各地の霊社名刹などの建造物の古材を集め、1886(明治19)年、神田五軒町の自邸に一畳敷を増築します。その名の通り、たった一枚の畳に板縁を廻らせ、床の間と神棚、書棚をしつらえた空間は90もの歴史ある木片で組み上げられており、その来歴は古くは白鳳時代から江戸時代にまで遡ります。

武四郎の死後、一畳敷は紀州徳川家当主の徳川頼倫の手に渡り、麻布の南葵文庫、そして代々木上原の高風居へと移築を重ねます。頼倫が亡くなると実業家・山田敬亮が泰山荘建設のために高風居を買い取り、1936(昭和11)年頃に三鷹の現在の地に運ばれました。その後、一畳敷の所有者は中島飛行機会社、そして戦後にはICUに変わり今に至ります。
主を替え所在が移る間、一畳敷には関東大震災や東京大空襲という消滅の危機がありました。また、そもそも武四郎は自らの死に際し、遺骸を一畳敷の材で焼くよう遺言していました。建築的にも歴史的にもユニークなこの建造物が今、130年余りの時を超えてICUに残されているのは奇跡ともいえます。ICUは一畳敷を含む、登録有形文化財である泰山荘を、貴重な財産として保存・活用に努めています。

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