卒業生の声

*肩書はインタビュー当時のものです。

*肩書はインタビュー当時のものです。

定村 来人 
イスラエル・ゴールドマン・コレクション キュレーター/大英博物館アジア部客員研究員
2005年6月 教養学部卒業

ICUで培った「オープンマインド」で 日本美術を世界で楽しむ

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リヨンで河鍋暁斎(きょうさい)に出逢う

現在、ロンドンを拠点として、幕末明治期に活躍した絵師・河鍋暁斎の研究者として活動中です。暁斎作品を専門とするコレクターであるイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションのキュレーターを務めながら、大英博物館アジア部の客員研究員として研究活動を行っています。

キュレーターとしての仕事は、所蔵作品の整理・調査、コレクションに関する問い合わせ対応など多岐にわたります。展覧会を行う際は、企画から展示方法の検討、作品解説の準備、図録の執筆に至るまで幅広く関わります。2022年にはRoyal Academy of Artsという歴史ある美術学校に併設された美術館で展覧会を行い、展覧会の図録と併せて、暁斎の動物画を集めた本を刊行しました。


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『暁斎春画』の共著者・石上阿希氏、暁斎コレクターのゴールドマン氏、ゴールドマン氏の愛犬モリーと

研究対象として暁斎に関心を持ったのは、2005-6年、大学卒業後のギャップイヤーでフランスに滞在した時のこと。ICUで第二外国語として学んだフランス語の力を磨くため、そして美術の実技の基礎を学ぶための留学でした。その際、リヨンの市立図書館で一冊の本に出逢いました。フランス人の実業家・ギメの『日本散策』です。画家・レガメと暁斎との出会いが生き生きと描かれている場面に引き込まれました。以前から日本とヨーロッパの美術的な交流に興味を持っていた私は、暁斎という絵師を深く追究したいと思うようになったのです。

暁斎の魅力は日本の絵画芸術の2つのジャンルをミックスさせ、独自の画風を確立したことにあります。伝統的な画題を、適切とされる技法や形式に倣って、下絵に基づいて制作した絵を「本画」(ほんが)と呼ぶのに対し、それらを当世風にアレンジしたり、パロディにしたり、滑稽味を加えたりして、より自由でくだけた筆づかいで描いた作品を「狂画」(きょうが)と呼びます。暁斎は本画と狂画をどちらも描いただけではなく、その二つを一つの作品の中に融合させました。新しい時代の絵を追求する中で、長い間確立されていた境界線を取り払ってみせた、その冒険心と柔軟さに惹かれたのだと思います。

この仕事の醍醐味は、暁斎の作品が再び日の目を見るきっかけとなれること。調査のために他の美術館や博物館を訪ね、収蔵庫に保管されている作品を出してもらったり、ゴールドマン氏が新しく手に入れた作品を展覧会で紹介したり。作品が久しぶりに人の目に触れ、リアクションを呼び起こす時、自らの活動がきっかけになって作品が「生き返る」と感じるのです。このエキサイティングな感覚からは、なかなか逃れることができません。

暁斎の作品は、現在進行形で発見され続けています。作品に加えて、暁斎という人物の生き方も非常に奥深く、研究の余地が多く残されています。今後も研究を続け、暁斎自身とその作品がより生き生きと輝く機会を作り続けていきたいと思っています。

ICUで学んだ「越境」と「融合」

ICUを志望したのは、留学のしやすさと日英バイリンガル教育に惹かれたためです。幼少期から海外の絵本や文学に触れ、他国の文化に興味を持っていた私は、中学校入学前からラジオで英会話講座を聞いたり、教材に取り組んだりしていました。中高時代も海外の映画や音楽を好み、高校時代にはイギリスへ留学。1年間、ホストファミリーと共に地方の小さな町で生活し、地元の高校に通いました。この経験を機に「大学で、もう一度イギリスへ留学したい」と思うようになったのです。

ICU入学時には、日本美術と西洋美術の相互的な影響に関心を持っていたため、美術に関連した学びに力を入れました。今振り返って感じるのは、ICUの学びは固定概念にしばられておらず、全ての人に開かれていたということです。例えば「日本の学問は日本人が教える」といった決まりはなく、日本美術をアメリカ人のリチャード・L・ウィルソン先生が、日本文学をブルガリア出身のツベタナ・クリステワ先生がご指導くださいました。国境や文化圏の枠を超えた「越境」が、新たな価値を生み出す環境だったと言えるでしょう。既存の常識にとらわれず、本画と狂画を合体させた暁斎の姿勢にも、同じものを感じます。

3年次には念願が叶い、University College London(UCL)へ1年間の交換留学に。それまで日本で学んでいた西洋美術についても、多様な方法論、アプローチの仕方があることを学びました。特に、同じ作品について語るにしても、様々な立場からdiscourse(言説)が作られ、その作品の意味や価値に影響を与えてきたことに意識的になりました。この経験を踏まえ、帰国後の卒業研究では、19世紀の欧米と明治時代の日本において、尾形光琳という絵師がどのように語られたのかを比較。それぞれの資料を地道に読み解く言説分析の手法を用いる中で、徹底的な調査と考察にやりがいを感じ、大学院で研究を続けようと決めたのです。

今も活きるコミュニケーションスキルと、「寄り道」の経験

現在の仕事にも、ICUで得たものが直結しています。美術館や博物館は、まさに「リベラルアーツの実践の場」。キュレーターそれぞれが専門を持ちながらも、様々な文脈、視点で作品について語ることが求められます。歴史的な作品でも、「社会との接点」あるいは「今日的意義」を見いだし、人々の関心に訴えることが大事です。物事を複眼的に捉える姿勢は、まさにICUで培われたものです。

加えて、ICUではコミュニケーションスキルが磨かれました。ディスカッション形式の授業や、友人、先生方との会話を通じて培った対話力は、今の私の武器になっています。例えば展覧会一つをとっても、実に多くの人々との協働が求められます。運営者や他のキュレーター、作品を運んだり設置したりするアートハンドラー、作品のケアをしてくれるコンサーバター、図録の編集者、ミュージアムショップや宣伝に関わるマーケティングの人々など......。異なる立場の人と共に一つの展覧会を作り上げていく時、成功の鍵を握るのが対話です。自分の主張を貫くのではなく、「オープンマインド」で相手の意見に耳を傾け、対話を楽しむスタンスは、ICUで得た大きな財産だと感じています。

高校生の皆さん、ICU生の皆さんに伝えたいことは、「寄り道」することを厭わないでほしいということ。最近は就職活動への影響を懸念して、留学に行かない学生も多いと聞きます。私も高校生の時、イギリスへの留学を「受験に不利になる」と止められたことがありました。しかし、ゴールにたどり着くための道はまっすぐとは限りませんし、ルートも一つではありません。私自身も、ICU卒業後にギャップイヤーという寄り道をしたからこそ、一生をかけて研究したい絵師に出会うことができました。エネルギーと時間が十分にある若いときにこそ、興味関心が向くままにいろいろな場所へ行き、人と会い、話してみてください。そうした経験が思わぬところで生きてきたり、新たなチャンスを作ったりと、生涯にわたって自分を支えてくれるはずです。


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ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RA)暁斎展(2022年3月~6月)の図録(左) と、RAの建物の外に設置された宣伝(右)


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RA暁斎展の展示室内(左) と、河鍋暁斎《地獄太夫と踊る一休に骸骨》明治4~22年(1871~1889)イスラエル・ゴールドマン・コレクション(写真:ケン・アドラード)(右)

Profile

定村 来人
イスラエル・ゴールドマン・コレクション キュレーター/大英博物館アジア部客員研究員

2005年6月 教養学部卒業

ICUでは人文科学を専攻。日本と欧米の美術における相互作用に関心を持つ。卒業後、フランスで1年間の留学。一冊の本を通じて絵師・河鍋暁斎の魅力に引き込まれる。帰国後に東京大学大学院・総合文化研究科の比較文学比較文化コースに進学し、2020年に博士号を取得。大学院在籍中には、ロンドンを拠点として欧州の暁斎作品を調査。2013年からは、ハーバード大学イェンチン研究所のフェローとなり、米国の暁斎作品を調査した。2016~19年には、スミソニアン国立アジア美術館のフェロー、2021~22年には、セインズベリー日本藝術研究所のフェローとなる。2022年3~6月にロンドンのRoyal Academy of Arts で開催されたKyōsai: The Israel Goldman Collection展のキュレーションを務める。著書に『暁斎春画 ゴールドマン・コレクション』(共著、2017年)、Kyōsai: The Israel Goldman Collection および Kyōsai's Animal Circus: From the Israel Goldman Collection(共に2022年)がある。

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