卒業生の声

*肩書はインタビュー当時のものです。

*肩書はインタビュー当時のものです。

鏡味 味千代 
太神楽師
2000年 教養学部社会科学科(当時) 卒業

「太神楽」を通して、日本の魅力を世界に伝えたい

1000年以上続く伝統芸能を、多言語で演じる

私が生業とする「太神楽(だいかぐら)」は、1000年以上続く日本の伝統芸能。大きく分けて、獅子の面をつけ舞を舞っておはらいを行う「獅子舞」と、傘回しなどの「曲芸」から成り立っています。元々は、大きな神社を参詣できない人のために太神楽の一団が地方の家々を訪問し、獅子舞を舞って厄払いを行い、お札を授けたのが始まりと言われています。今ではお祝いの場や新年が明けたときなどに披露する「おめでたい芸」であり、寄席では漫才やマジックなどと同様に、落語と落語の間に上演する「色物」と位置付けられています。

私は現在、各地の演芸場で催される寄席のほか、パーティーの余興や学校の芸術鑑賞会など、さまざまな舞台で公演を行っています。少なくとも月に20日くらい舞台に立ち、舞台のない時は芸の稽古や事務作業に勤しむ日々。一児の母でもあり、仕事と育児を両立させるべく忙しくも充実した毎日を送っています。

最近はインバウンド需要の高まりで、外国の方向けに芸を披露する機会が増えています。海外公演も年に一度のペースで実施し、これまで訪れた土地は欧米、南米、東南アジアなど世界各地。そこで私は学生時代に培った語学力を生かし、英語とフランス語で太神楽を上演しています。単純に外国語を使って芸を披露するだけでなく、太神楽の持つ「おめでたい文化」を世界に伝えようと奮闘しています。太神楽は落語と違い「見て分かる芸」なので難しくないと思っていたのですが、いざやってみると一筋縄ではいきませんでした。

まず、欧米には「おめでたい」という概念がないのです。祝福の意味の「Congratulations」はありますが、縁起の良いことが起こった時の「おめでたい」ではありません。そこで私は「おめでたい=みんなで幸せを分かち合う」と解釈し、「Sharing Happiness」としたりと、場面に応じて訳しわけています。また傘の上で「枡」を回す芸があり、傘は「末広がり」、枡は「ますます」ということで、日本だとそれだけで喜ばれるのですが、海外には枡がありません。「これは『ます』という器で、『ますます』は英語で『more』で......」というような説明を行う必要があります。こうした難しさはありますが、公演後に外国の方から「ハッピーな気持ちになった」と言われた時は、「伝わった!」と大変嬉しい気持ちになります。

外交官志望からPR会社へ、そして寄席との出会い

ICUを知ったのは、中学、高校の先輩がICUに通っていて、その方から話を聞いたことがきっかけです。小さい頃から海外への憧れがあり、高い国際性を持つICUに惹かれました。多国籍の学生が共に学ぶだけでなく、対話を通して異なる文化や考え方をお互いに受け入れる、そんな学風に感銘を受けたのです。そして実際にICUに入って「こんなに生きやすい場所があるんだ」と驚きました。ICUでは皆、性別や年齢、国籍などで人を判断せず、フラットに接することができる環境が心地よく、自由を感じました。

ICUでは当時の社会科学科に所属し、ヨーロッパの中世史を主に学んでいました。卒業論文のテーマは「中世のお墓」。宗教や死生観に興味があり、多様な形態のお墓にそれぞれの思想が表れているのが興味深く、研究に没頭しました。勉学以外にも、サークル活動や寮生活を目一杯楽しんだICUでの思い出は語り尽くせません。

卒業後は外交官になりたいと考えていました。その原点は高校生の時に行ったフランス留学。当時、クールジャパンが謳われる前の時代で、フランス人から見た日本人のイメージはひどいものでした。ひたすら真面目に働くだけの人種だと思われていて「日本人ってキスとかするの?」と聞かれた時は驚きました(笑)。こうした体験から「将来は日本の良さを世界に伝える仕事がしたい」と考え、ICUで学ぶ中で外交官を志すようになったのです。残念ながら外交官の試験には合格できなかったのですが、PR会社で働いていたICUの同級生から声をかけてもらい、その会社で働くことになりました。PRの仕事は物事を魅力的に伝えることなので、その手法が学べるなら良いなと考えたのです。そこから会社員としてPRの仕事を約6年続けました。

PR会社からどうして太神楽の世界へ? と思われるかもしれませんが、父が寄席を見るのが好きで、会社員時代に父に連れられて演芸場に足を運んでみたんです。そこで落語をはじめとする寄席の芸に圧倒されました。太神楽も行われていて、調べてみると神道と深い結び付きがあり、非常に長い歴史を持つ芸であることを知りました。小さな頃から大の歴史好きで、ICUでも宗教史の学びに熱中していた私にとって、これほど興味深い芸はない。何から何までハッピーな芸であること、言葉がなくても訴えかける力があることも、太神楽に惹かれた要因でした。

それから寄席に通うようになり太神楽への興味が一層強くなる中、2007年1月の初席で国立劇場の「太神楽の研修生募集」というチラシを目にしました。そして直感したのです。「太神楽を私がやることで、元々目指していた『日本の良さを世界に伝えること』ができるのではないか」と。研修生に応募し、晴れて太神楽の世界に入り込むことができたのです。

形を変えて、夢を実現させることができた

ICUで培い、この世界で何よりも役立っているものは、「異なるものを受け入れる姿勢」だと思います。というのも寄席の世界では、1秒でも早くこの業界に入った人が先輩で、そこには絶対的な上下関係が存在します。先輩が「カラスは白い」と言ったら白。ある意味、不条理とも言える世界で、「こういう文化もあるんだ」と自然に受け入れることができたのは大きかったですね。

私は遅い年齢でこの世界に入ったので、「年下の先輩」が少なからず存在します。普通の感覚からすると年下の言うことは素直に聞けなかったりするものですが、そこに抵抗はありませんでした。前座のときは怒られてばかりなのですが、それは自分の誤りを正してもらえる良い機会。前座を卒業すると注意を促してくれる人はいなくなります。怒られることをいとわずに、周りからの注意やアドバイスを素直に聞き入れる姿勢を持っていたことは、芸人として幸運だったと感じています。

「異なるものを受け入れる姿勢」は、「変化を恐れない姿勢」にもつながります。だからこそ、会社員から芸人に転身する時も躊躇なく行動に移せたのかもしれません。周りからは「なぜそんな思い切った決断を?」と驚かれもしましたが、ICUの同窓生からはさほど驚かれませんでした。「あなたにはあなたの人生があるよね」「ICU生らしいね」という感じで。変化を恐れず自分の人生を生きる、というマインドがICU生には根付いているのでしょう。

もっとも私としては、「日本の良さを世界に伝えたい」という目標があり、外交官でも、PR会社でも、今の太神楽師でも、考えは一貫しているわけです。形を変えて、夢を実現させることができたと感じています。皆さんの中にも夢に向かって突き進んでいる人がいると思いますが、その夢がストレートに叶うとは限りません。しかしアプローチの仕方は無数にあり、形を変えてでも夢は叶えることができるので、諦めずにチャレンジしてほしいです。そうした柔軟性やチャレンジする強さをICUは与えてくれると思います。

最後にもうひとつ。私はICUで世界の文化に触れたからこそ、日本の文化がとても面白いと感じています。日本の文化はお堅いと思われがちですが、実はとても柔軟で個性を重視する文化なんです。例えば洋服はボタンやジッパーが付いていて形が決まっていますが、日本の着物は布と紐だけで成り立っていて、その人の体型や動きに合わせて馴染んでくれる。また、三味線には弦の振動を胴皮に伝える「駒」という部品があり、駒の位置は胴の端から「指二本分」と決められています。しかし指の太さは人によって異なり、その違いが「個性」とされているんですね。日本の文化には、まだまだ知られていない魅力がたくさんあります。ICUで世界のことを学びつつ、ぜひ日本の文化にも目を向けてもらいたいと願っています。

Profile

鏡味 味千代(かがみ みちよ)(本名:長谷川(旧姓 高橋)麻帆)
太神楽師

2000年 教養学部社会科学科(当時) 卒業

国際基督教大学卒業後、2007年3月までPR会社勤務。2007年4月~2010年3月、国立劇場第5期太神楽研修生。2010年4月、ボンボンブラザースの鏡味勇二郎氏に弟子入り。その後1年間、噺家の前座に混ざり落語芸術協会にて前座修行を行う。2011年4月浅草演芸ホールにて寄席デビュー。寄席では珍しい語学力を生かし、英語で太神楽を上演したり、海外公演に参加したりと、太神楽の新たな可能性を探っている。