Global Alumni

師子鹿 桜  日本航空株式会社
運航本部 737運航乗員部 副操縦士
2008年 教養学部教育学科(当時)卒業

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始まりは"コックピットから見る景色"への憧れ

パイロットを目指すようになったのは、「コックピットからの空が見たい」という純粋な気持ちからでした。そんな漠然と抱いていた憧れが、目標に変わったのは大学3年生のとき。きっかけは、JALの自社養成パイロットに内定されたICUの先輩に話を聞いたことでした。

そして、今年の2月に晴れてパイロットとして飛行機に乗るために必要なライセンスと社内資格を得ることができ、今は副操縦士として国内線でボーイング737型機に乗務しています。訓練は厳しかったですが、これまでの人生で最も充実した日々を送っていると感じています。

しかし、ここに至るまでの人生が順風満帆だった訳ではありません。最も大きな挫折は、2010年にJALは経営破綻によって事業規模の大幅な縮小を余儀なくされ、パイロットの必要数も激減した結果、パイロット養成訓練が中止されてしまったこと。JALのパイロットへの道を断たれ、事務系総合職としてJALに残るか他社に移るか、とても難しい判断をしなくてはなりませんでした。同じ境遇にいたパイロット志望の社員それぞれが将来像を描くことに苦悩し、私自身も、仮に訓練が再開されたとしても年齢的に挑戦は厳しいのではないかと感じていました。「パイロットになるために入社したのに、なれないなんて―――」どうにもできない悔しさをすぐには受け入れられませんでした。

それでも、自分自身がどうしたいかを突き詰めて考え、就職活動の際、「心から好きだと思える会社に入って、一生勤めあげる」という軸を持っていたので、十分考えて納得した上で入社を決意したJALに、総合職として残る決断をしました。もちろん当時はパイロットとして活躍されている先輩社員を見て、うらやましく思ったのも事実です。しかし悩みぬいた末に自分で下した結論に、後悔はありませんでした。

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挫折を乗り越えた先の喜び、そして同期との絆

転機が訪れたのは、2012年10月10日。経営再建を進める中でパイロットの養成計画が見直され、2010年に中止されたパイロット養成訓練の再開決定が発表されたのです。そして、私も再開された養成訓練の1期生に選んでいただくことができました。自分達を選んでくれた会社に感謝すると同時に、JALに残るという自分自身の決断にとても救われた気持ちになったことをよく覚えています。

訓練再開が言い渡されたとき、真っ先に浮かんだのは一緒に訓練再開を待って来た同期達の顔でした。入社後、パイロット志望の社員60人は、6人ずつのグループに分けられて1年間の地上勤務を行います。私は大阪の伊丹空港に配属になり、その間、同じ配属先だった5人と毎日のようにパイロットへの夢や憧れを語り合いました。しかし、いざアメリカでの訓練が始まるというところで訓練の中止が決定。私を含めた6人全員が会社に残り、総合職の社員としてそれぞれの場所で勤務を続けていました。そんな中での訓練再開決定の発表。希望を捨てずに長い間待ちわびた嬉しい知らせに心が躍りました。その日のうちに全員で連絡を取り合って、再び一緒に夢を追いかけられる喜びを分かち合いましたね。

厳しい訓練を乗り越えられたのも、彼らがいてくれたことが大きいです。特にJALのプログラムは質が高いことで知られています。ハイレベルな技術や知識を限られた時間で習得しなければならず、「ついていけるだろうか」と不安になることもありました。しかし、同期達が頑張っている姿が常に私を励ましてくれたのです。フェーズが進み、一緒に訓練中止を経験した同期とペアを組んで訓練用の飛行機を飛ばした時は、やはり感激に満ちあふれました。

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今の私を生み出してくれた、ICUでの日々

思い返せば、総合職として会社に残るか退社して別の道を探すかの判断を迫られたとき、周囲の意見に左右されることなく自分として納得のいく答えを出すことができたのは、ICU時代にクリティカルシンキングの習慣を身につけていたからだと思います。ELP(現在はリベラルアーツ英語プログラム(ELA))で所属していたクラスやサークルのメンバー、また教職課程を一緒に受けていた仲間とは、常に物事を批判的に捉えて議論することを徹底していました。おかげで今でも周りの考えや流れに甘えることなく、自然と「本当にこれでいいのか」と一度立ち止まって考えられています。特にELPの授業は個人的に強く印象に残っており、大学でも所属するクラス(セクション*)が存在することは、精神的にありがたいことだと感じていました。

*ELAでは、1クラス約20人の少人数制で授業が行われ、そのクラスをセクションと呼んでいます。

もう1つICUの魅力を語るなら、やはりリベラルアーツを重視していることです。分野を狭めずに、幅広く学べた経験は私にとって大きな価値をもたらしてくれました。入学時に興味があったのは心理学で、その後教員という仕事にも興味を抱きました。また、さまざまな分野で学ぶ仲間と多様なテーマで語り合う機会が多く、いい意味で自分が何をメインに勉強しているのかわからなくなる程でした。今でも付き合いがある友達は、例えば教員や秘書、学会・イベントのプランナーなど実に多彩で、こういう環境だったからこそ私も航空業界を真剣に目指そうと思えたのだと感じています。

また、パイロットという職業は、訓練時代を含めて男性が大半を占める職場ですが、苦痛に感じることはほとんどありません。男性社員の皆さんが気を遣ってくれているということももちろんあると思いますが、これもICUでの日々で培った感覚が影響していると感じます。学内では、異性であってもお互いを1人の人間として尊重しており、学生生活を送る中で性別を強く意識することはありませんでした。出身や性別ではなく、「人」を軸に相手と接するという点も、ICUの大きな魅力の1つだと思います。

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忘れられない教官たちの涙。常にベストを尽くせる人でありたい

多くの人の命を預かる仕事ということで、コックピットに座るには技術的にも身体的にも非常に厳しい基準をクリアし続けなければなりません。試験や身体検査は定期的に行われ、基準に満たないとその日からライセンスを停止されてしまうこともあります。資格の維持、万全の体調を整えることはもとより、より高品質なフライトを実現できるパイロットを目指してこれからも努力を続けていきます。

また、大きな不自由を感じている訳ではありませんが、女性として悩んだり、迷ったりすることもあります。パイロットを志望している女性社員が毎年のように入社している今、先輩社員として力になれることがあるのではないかと感じています。訓練のこと、そして乗員生活のこと、大小問わず頼ってもらえれば嬉しいですね。

目標としては、常にそのときのベストを尽くせる人間でありたいと思っています。

アメリカで訓練を受けたとき、教官としてJALから4人の機長が派遣されていました。再開に伴いJALは新しく訓練所を開設しました。訓練所の手配や外部団体との交渉・連絡、さらには指導者としての自身の免許の取得など、現地では私たち訓練生を迎え入れる為に大変なご苦労をされていたことを後から知りました。それでも私たちの訓練中はそれを微塵も感じさせず、私たちのことを第一に考えて、厳しくも温かい指導を行ってくださいました。

私たちのアメリカでの訓練を同期全員が無事に修了した時に教官方が流した安堵の涙を私は忘れることができません。これから先、会社から求められる物が変わり、自分が思い描く人生プランとは異なる状況に立たされることもあるかもしれません。どのような状況に置かれても、その4人の教官機長のようにそれまで培った知識と経験で挑戦し、ベストを尽くしていきたいです。

<プロフィール>

Shishika

2008年 教養学部教育学科(当時)卒業

教養学部教育学科卒業後、運航乗務職(自社養成パイロット)として日本航空株式会社(JAL)に入社。数年間の総合職勤務の後、2014年5月よりアリゾナ、東京での2年半の訓練を経て2017年2月より副操縦士として、主に国内線に乗務。